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2007年9月 9日 (日)

『帝国』の時代と協同組合の本質

 このブログを生協時代の元上司が読んでくれて、先日その元上司と話をすることがあり、「協同組合の本質論を学ぶ場」をつくりたいということであった。協同組合の理念は、一言で言えば「相互扶助」であるのだが、その本質はとなると、協同組合も歴史的形成物であるから、一言で言うのは難しい。

 例えば、ユートピア社会主義者のロバート・オウエンは“協同組合の父”と言われ、オウエン主義者たちが創ったロッチデール公正開拓者組合は、近代型協同組合の嚆矢とされるが、ではオウエンの構想した協同組合とロッチデールの協同組合は同じかと言うと、同じではないのである。

 私的には、オウエンが構想したのはコミュニティ型協同組合であり、ロッチデールに誕生したのは近代主義型協同組合と言える。どう違うのかと言うと、本質論で言うと、オウエンの構想した協同組合の本質は、「コミュニティの形成=市場社会への対抗」なのであるが、ロッチデールの組合は、まさに前述の「コースの定理(=企業の本質)」で言われるとおり、「取引費用の削減=市場社会への適応」なのである。

 ユートピア社会主義者とも言われたロバート・オウエンは、18世紀後半から19世紀初頭の産業革命と資本主義の本源的蓄積の時代を背景に、市場化の流れに抗するかたちでの「協同村的コミュニティづくり」を構想、1925年にアメリカでニュー・ハモニーでのコミュニティづくりを試みて、にあえなく失敗してしまう。一方、1844年に創設された、ロッチデールの協同組合は、19世紀半ば以降のヴィクトリア期のイギリス資本主義の興隆の中で、功利主義的な発想で「利用割戻し」や「出資配当」といった現在につながる運営原則を確立して、「取引費用の削減=市場社会への適応」を成して、その後のいわゆる生協の元祖となった訳である。

 要は、市場に抗するのか、適応するのかの対応のちがいであるのだが、市場に適応しないと事業はうまくいかないが、相互扶助の理念は、市場(=競争)社会への対抗理念であるところに、協同組合の難しさがある訳である。

 その後、ヨーロッパの生協は卸機能をもった連合会に結集して、産業社会の興隆の中で大きく発展し、資本主義のいわゆる福祉国家期に頂点を極めた。これは労働組合も同様であったが、要は国家独占資本主義、大きな政府の時代に国民経済の中で発展した訳である。しかし、この大きな政府、福祉国家というのは、欧米では60年代末頃から行き詰まりだし、1970年代以降、停滞期に入る。前述した「レイドロウ報告(西暦2000年における協同組合)」というのは、ヨーロッパにおける大きな政府と、その下で拡大してきた協同組合の行きづまりを背景に、不確実性の80年代を前に、協同組合のすすむべき道を提起した報告書である。

Photo  「レイドロウ報告」は、転換期と言われた70年代を時代背景に問題提起された訳だが、その後の協同組合における議論は、1988年のICA大会における「協同組合の基本的価値」という議論になってしまった。これは、協同組合における理念を明確にし、「基本的価値」を再確認して、運動を再生しようとしたものであったが、時代認識について言えば、レイドロウ報告よりも後退したというのが、私の感想である。

 レイドロウ氏が憂いた多国籍企業の拡大の先に、まさに80年代以降に展開しだしたのは、グローバリゼーションと小さな政府の波であった。大きな政府と福祉国家、国家単位の国民経済の時代が終わり、要はポストモダンの時代になってしまった訳である。ヨーロッパに生まれた近代主義が終焉した訳だが、「基本的価値」という発想そのものが、正にヨーロッパ近代の発想なのである。

Photo_2  社会主義圏の崩壊と湾岸戦争を経て、90年代に入ると、時代はまさにアントニオ・ネグリとマイケル・ハートが書く『帝国』の時代になってしまったのだが、「帝国」の時代とは、時代認識を超えて「本質」を語るということが不可能になった時代なのである。デカルトに始まる近代主義の思想は、真理は存在すると言う超越論によって成り立っている訳だが、超越論が成り立たないとすれば、「本質」もまた相対化される訳である。

 そこで現在、協同組合の本質を問うということは、「『帝国』の時代における協同組合の本質とは何か」という問いになる訳である。(つづく)

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