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2007年7月14日 (土)

脱労働力商品への道と「コースの定理」

 脱労働力商品への道とは、自ら労働力商品であることを止めることである。そこで、労働力商品とは何かということと、次に、そこから抜け出る可能性について考えてみる。

 経済学的に考えれば、労働力商品とは、産業革命以降の産業社会に生み出された賃金労働者のことである。産業革命の初期の頃には、資本の蓄積が強行されたから、労働者としてしか生きようがなくなった人は、あからさまに搾取され、これを初期マルクスは「疎外された労働」として、これが「私有財産」を産むとした。ここから、私的所有をなくすことが、疎外された労働をなくすことだとされたが、資本主義の原理的な矛盾は、所有関係にある訳ではないから、所有論的なアプローチに基づいたいわゆる社会主義は崩壊した。

 「疎外された労働」が「私有財産」を産むという資本主義社会についての初期マルクスの直感は、宇野弘蔵氏によれば、「資本の生産物ではない労働力の商品化」が「資本主義社会の確立の基礎」であるということであり、「恐慌現象をも資本自身の展開する矛盾として、資本はこれを不況期の生産方法の改善による相対的過剰人口の形成によって現実的に解決しつつ発展する過程を明らかにし、これによってはじめてその必然性が論証できるといってよい」(宇野弘蔵『資本論の経済学』P29)となる。
 後期マルクスは、『資本論』において「近代社会の経済的運動法則」=「資本の絶対的過剰生産」と景気循環の必然性を解明した訳だが、資本主義社会は「相対的過剰人口の形成」によって、「不均衡の均衡」を保ちながら持続しつづける。

 そして不況期、例えば1990年代に形成された相対的過剰人口は、まさにフリーター、非正規化したわけであるが、それに対して正規社員化を要求すれば問題の解決になるのかと言えば、そうはならない。労働力商品の問題は、正規か非正規かという問題ではないし、どちらかと言えば、企業から丸ごと労働力を買われて、残業代の出ない残業をさせられる正社員の方がそれに近い。また、ニート、フリーターという生き方というは、労働力商品化に対する本能的な拒絶という面もあるのだとすれば、そう否定的にみなくてもよいのではなかろうか。

 また、労働力商品というあり方は、営利企業に雇用されているからそうであるのでもない。例え公務員や非営利団体の職員であっても、ヒエラルキー組織の中で、その規範に従って働き、自らの能力と仕事の対価以上に、ヒエラルキーを上昇したいと思う人なども同類である。要は、労働力商品とは、金と地位のために働く人であるというのが、私の結論である。

 だから、脱労働力商品への道とは、金と地位のために働くことを止めることである。例えフリーターをしていても、正規社員化や行政による保護をあてにするのでもなく、自ら生きたいように生きようとする人がいる。例え営利企業にいようとも、上昇を気にせずに自律的に働く人がいる。これらの人々は、自らが商品化されることから抜け出ていく、脱労働力商品の道を歩む人たちと言える。脱労働力商品するということは、働かなくなることではない。むしろ、自ら仕事が出来るようになることである。

 就職、会社に勤めるというのが当たり前とされるようになったのは、産業社会においては、市場に対して会社のあり方が合理的であったからである。1937年に、ロナルド・H・コースというイギリスの若い社会主義者が「企業の本質」という論文を発表して、企業の存在を取引費用の面から理論づけた。私がコースの名を知ったのは、下記の岡部一明氏の本からであった。岡部氏はこう書く。

Photo_18  「企業か市場社会の中に浮かぶ非市場的な組織経済であることを初めて明確にしたのはロナルドーコースである。1937年11月のエコノミカ誌に載った『企業の特質』という論文が、その数字塔である。・・・図書館の巨大な書庫の奥にエコノミカ誌バックナンバーを探し出すと、1937年の合冊本だけが痛みが特に激しい。・・・
 コースの発見のすばらしい点は、企業の発生要因を明らかにすDh ることにより、この要因が消滅もしくは低減する時に当然企業は解体方向に向かうことを可能的に示したことである。むろんコースはそこまでは言っていない。しかしそれは当然の論理的帰結だ。たとえば、情報や通信の発達で、市場を利用する「取り引きコスト」が低減すれば、企業を組織する理由、巨大化させる理由は弱まる。実際、今日の「サービス化経済」「情報化社会」の中で、市場を通じた商品・サービス統合が容易になり、企業のダウンサイジング、アウトソーシング、分社化か進行する一方、小ビジネスを中心とした起業家経済の台頭かはじまっている」(『インターネット市民革命』御茶ノ水書房1996年P187-189)。

Photo_19  また、先月に出版されたばかりの『ウィキノミクス』(日経BP社2007年)という本にも、こう書かれている。
 「革新や価値を創造するために企業が能力を結集するやり方が根本的に変わりつつあるのも事実である。・・・直接的な経営管理なしで価値を協創する自発的参加によるコラボレーション型ビジネスウェブ、Bウェブモデルの採用が少しずつ広がっている。なぜ、このような状況になったのか。コラボレーションのコストが下がったことが原因だ。
 この説明をするためには、ウェブが広く知られるようになった1990年代ではなく、なんと、1937年まで戻らなければならない。・・・
 ここから、我々が「コースの定理」と呼ぶものが導かれる。企業は、基本的に、新しい取引を社内で行うコストかオーブンな市場で行うコストと等しくなるまで規模を拡大していく。社内のほうが安上がりなら社内でやれ、市場で調達したほうが安上がりなら杜内でやろうとするな、というわけだ。
 インターネットの登場によってコースの定理にどのような影響かあっただろうか,定理の.妥当性はまったく揺らいでいない,それどころか、インターネットの登場で取引費用か急低下した結果、コースの定理の有用性はむしろ高まったと言える。ただし、定理の読み方は逆向き、つまり、社内で取引を行うコストが社外コストを超えないレベルまで、企業は規模を縮小すべきなのだ。取引費用はいまも存在するが、市場よりも社内のほうが重荷になることが増えたというわけだ」(P90-91)。

 私は、岡部さんの卓見に感心すると共に、「コースの定理」にも感心した。産業革命以降の工業化社会が、情報化社会に変わろうとも、「資本の絶対的過剰生産」がなくならないように、「コースの定理」も変わらない。
 これは人の生き方も同様で、19世紀の脱労働力商品的生き方、ボードレールやランボー、モリスから、20世紀の脱労働力商品的生き方、ロストジェネレーションや実存主義者やビートから、21世紀のフリーターまで変わらない。そしてさらに、脱工業化と情報化のすすむ時代は、脱企業的生き方→脱労働力商品的生き方に味方しているのである。

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2007年7月 7日 (土)

梅雨の頃

 朝から曇り空で、いかにも降り出しそうではあったが、風が湿っていて蒸し暑いだけ。夜勤明けなのに寝付かれずにいて、気分転換に、八重洲のブックセンターに本を買いに行って来た。
 有楽町に出ると、ビックカメラでプリンターのインクを買い、湿った都会を汗をかきかき歩く。ブックセンターはエアコンが効いていて、汗を乾かしながらしばし立ち読み。2冊で6195円、久しぶりに本を買い、この夏の課題図書とした。
 6月中は、『夜明け前』にひきつづき、同じく藤村の『桜の実の熟する時』と『春』を再読、再々読した。書かれた順番は、『春』、『桜の実の熟する時』、『夜明け前』の順だが、話しの内容からすると、『夜明け前』、『桜の実の熟する時』、『春』の順序である。時の流れを超えて、意識は朔行する。このあたりに、文学の成立する面白さがある。
 明日は降るのかもしれないが、気分はどこにでも行ける。ひんやりとした店内、人気の無い書棚の前で、やがて梅雨も明けたら、この夏は、どんなふうに過ごせるだろうかと、まあ、そんなことを考えていた訳である。

 私は今年で58歳になったから、10年前には48歳であった。48歳は私の干支だから、その年にはいいことがあるかもしれないと思っていたら、春先に母が癌であることが判明し、秋口には職場の同僚の横領が発覚し、やがて私はその詰め腹リストラで関連会社に飛ばされることになるという散々の年になってしまった。次の春から2年間、関連会社へ出向に出された訳だが、2年経って出向期間が終わっても戻れないということであったので、50歳という切のいい歳に、私は会社勤めを辞めることにしたのだった。
 その後、失業期間中に職業訓練校に入れてDTPを覚えて、それを生業にして、その後の8年間をなんとか生きてきた訳だが、58歳になって振り返るに、あれから10年経ったかと感慨がある。昨年あたりから団塊の世代のリタイアと、そのセカンドステージが話題になりだしたが、私にしてみれば、セカンドステージは既に8年も経過したところであり、出向に出された時からすれば、既に10年目である。

 出向期間というのは、執行猶予期間みたいなものであった。この10年間は雇用環境が激変した時代であったが、なんとかやってこられたのは、出向期間中にあれこれ考えたりすることが出来たせいかもしれない。私の48歳はろくな年ではなかったが、仕事以外での人とのめぐり合いには恵まれた。
 この10年間の前半は、詩を詠みながら仕事に苦労しながら凌ぎ凌ぎ、後半はDTPとNPOをしながら貧乏生活にも慣れてといった具合だったが、さて、この先はどうするかという思いが、最近、時々するようになってきた。
 会社勤めをつづけていた団塊の世代は、これからセカンドステージを迎える訳だが、10年早くセカンドステージしてきた私は、サードステージを考える訳である。そして、48歳からの2年間に出向期間という執行猶予期間があったように、58歳になった私は、60歳からのサードステージに向けて、しばし充電期間を持とうかと思う訳である。
 
 この夏をどう過ごせるかで言えば、夏と言うのは短いものである。海好きの海遊びは、混んだ夏休みを避けて、いつでも夏だが、海水浴シーズンで言えば、梅雨が明けたと思ったら、もう土用波が来て、やがて台風シーズンとなり、夏は一瞬である。
 先月から、週3日間、本屋で働き始めた。リンドバーグというクルマとバイクの本の専門店で、洋書もあつかうし、ヤマハのSR専門のレストアショップも併設した、その筋では有名な店である。それまでの週3日のパート仕事も辞められずにいるから、この夏はほとんど休みが取れそうになくて、実際は、この夏の過ごし方など、限られたものである。だから、思いはもっと先に向かう。

 10年前の夏、癌になった母と、その1ヵ月後に起きる横領事件がまるでデジャブしたかのような、漠然とした不安を抱えながら、当時持っていたスバルのワゴンでツーリングに出かけた。その夏も天候の不順な夏で、びしょ濡れのテント泊をしたりして、北陸道を走って、芭蕉の『奥の細道』のむすびの地である大垣まで走った。
 いつか、そのつづきをやろうとしながら、やがて失業して、クルマも売ってしまったのだが、そのつづきをやりたいという思いが、またふつふつと沸いてくる。つづきはバイクで走ろうと思っている。だから、あれこれ充電しながら働いて、とりあえずはバイクを買い換えようと思っている。
いま梅雨の最中に思うことは、そんなことである。

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