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2007年2月 1日 (木)

過去の現存②アメリカにおける封建制

 帝国化しようとするアメリカに対するオルタナティブを考えるにあたって、アメリカを嫌うだけで別のものを探すというのでは、いい対抗案は見つからないと思うから、この間このブログで、いわゆるブッシュ的アメリカでないアメリカを見てきた訳だが、『アメリカ憲法の呪縛』によれば、そのルーツは「アメリカにおける封建制」にあるという。

 ここでもトクヴィルから始まる。著者は「アメリカ人は、民主革命の苦しみを経験することなく民主主義を獲得し、また平等になろうとする必要なしに平等に生まれるという大きな利点を有している」と「アメリカには封建制の過去がない」というトクヴィルの有名な二つの発言から始めながらも、「アメリカには封建制の伝統があったと考える」と、以下のようにつづける。
 
「トクヴィルの目には、アメリカを際立たせている大部分のものはアメリカが経験してこなかったものによると映った。すなわちそれは、絶対君主制と中央集権化からなる旧体制の政治であり、大部分は過去から継承されてきた種々の不平等とそれらに対応する諸特権からなる封建社会であった。・・・わたしの主張はこのテーゼとは逆で、アメリカには封建制の伝統があったと考える。つまり、政治理論においてみるならば、重要な点は、アメリカ革命がフランス革命とは異なり、封建割に反対する革命ではなく、封建制を支持する革命だったということである」(p 167-168)。
 「イギリス支配への反対を民主主義と封建制の双方の要素が結合したものと考えるのである。・・・1776年の革命は、重要なことに、中央集権化された権力、遠隔地からの支配、画一的な原理に対抗する革命であるという点で一つの封建制的な反乱であった」(p 169)。
 「ステファン・ホプキンズによれば、「帝国というものは多くの政府から構成されており、それぞれの政府が固有の特権を有する」。差異、多元主義、複数の中心地への権力分散などを強調することは、統合や中央集権的行政を強調する帝国の概念に対して際立った対比を示している。このことは、植民地側の数多くのパンフレットにふたたび現われており、以下のわたしの仮説の基礎となっている。すなわち、植民地が存在していて、独立革命の進行のさなかに州政府へと発展したことは、アメリカの封建制の表われにほかならず、これがアメリカ革命を封建制的な革命にしたということ、さらに革命は、イギリス行政側の合理性にたいする反動を表わすかぎりにおいて、反動的な要素であったということである。この仮説が正しいならば、アメリカの政治的伝統の成り立ちは封建制的経験の不在によって説明されるべきではなく、むしろその後の封建制の抑圧によって説明されなければならない」(p 170)

 いわゆる進歩史観から見ると、封建制は近代社会以前の封建領主の支配と身分差別による暗い時代であったかのように見られるが、著者はモンテスキューの『法の精神』から、封建制を以下のように読み替える。
 
「モンテスキューは、政治社会とは単一の創設者の手になる構築物ではなく、歴史的に生成してきたものであり、物理的な諸条件(気候や地理)から大きな影響を受けつつ、宗教、道徳、慣習、経済、民法、公法のあいだで長い年月をかけてつくりあげられた複雑な適応関係から成立していると考えた。『法の精神』の主要な標的は専制であった。・・・モンテスキューは、かれの時代の君主制国家においては専制が支配的な傾向であると確信して、以下の理論構成で対抗しようとした。すなわちそれは、封建制の慣習、ならびにいわゆる中間集団において保持されている封建制の遺習から大きな影響を受けた理論構成である。それらの中間集団は、地方の諸身分ないし諸議会、地方行政府、高等法院の司法制度などによって構成されていた。モンテスキューがそれらの慣習の価値を強調するにいたったのは、封建制を復興しようとする衝動のゆえにではなく、むしろ脱中央集権化された政治システムという、封建制が呼び起こしたイメージのためである。そしてそのイメージにしたがえば、そこでは権力が多くの中心点に分散され、そのため必然的に生じる競争によって相互に制限されるのである」(p 95)
 「巨大な領域を統治する権力を構成しようと企てる場合に、モンテスキューが警告したのは、具体的な場所に付随する差異が理性の誘惑により破壊され、その結果、場所が空虚で抽象的な空間へと転換され、それによって権力を分散化するよりも比例的に拡大化する法則にもとづいて権力を定義する自由が、理性にあたえられることになる点であった。抽象的空間は、モンテスキュー的理性というよりむしろデカルト的理性を求めたのである」(p 146)。
 「モンテスキューが示唆したように、理性の危機に対する解決法はおそらく単純化のなかにあるのではなく、複雑性のなかにある。・・・解決の特徴は、これまで教えられてきたように、単純性や優雅さや還元性ではなく、多種多様な法によって生活し、デカルト的解決を拒否する複雑性を奨励する諸条件をつくりあげることにこそある」(p 155)。
 「モンテスキューの努力によって、封建制は中央集権的国家とはべつの一つの選択肢を指し示す用語となったのである。封建制の概念は、中心にたいして周辺を支持するものであり、行政支配による画一化の傾向に抗して地方的制度や慣習のもつ多様性を支持する。要するに、政治的一神教に反対して政治的多神教を支持するものである」(p 172)。

 私は『法の精神』を読んでいないが、渡辺一夫氏の『フランス文学案内』によれば、「「一つの信仰・一つの掟・一つの王」という昔からの掟を、」「多くの信仰・多くの掟・多くの王」という新しい掟に移行させるといってもよい考えかた」であるということであった。
 『アメリカ憲法の呪縛』は、デカルト的理性に基づくアメリカの近代主義的あり方を批判して、それに代わるものとしてモンテスキューの言う封建制的社会のあり方を対置するのであるが、アメリカ憲法が制定される以前には、そういった社会がアメリカには存在していたとし、これを憲法制定時におけるアンチ・フェデラリストの主張の中に見る訳である。
 
 トクヴィルが見たアメリカは、憲法制定後ではあったが、南北戦争前の謂わば国家がまだ地方にまで及びきる前のアメリカであり、著者はそれを以下のように要約する。
 
「トクヴィルは、諸州こそがアメリカの政治的原理の主要な源泉であり、アメリカには古代アテナイを思い起こさせる「地方自治の精神」があると信じた。自発的な結社にかんするトクヴィルの有名な議論からは・・・活動的な市民や地方的諸制度、つまり中央集権的権威から独立して共同のことがらを統治する地方自治の制度に対して好意的なトクヴィルの姿をみることができる。トクヴィルがモンテスキューから大きな影響を受けたことは長いあいだ認められてきた」(p94)
 「アメリカにみられる旧時代的なものの具体例としてトクヴィルが好んだものの一つは、司法組織と法律の職業であった。それらは政治制度における貴族制的原理の現存を示していた。・・・新世界と旧世界のそれぞれの制度を比較するさいのトクヴィルの眼目は、フランスで高等法院や特権階級の体制を復活させることにあるのではない。むしろ、民主主義それ自体への対抗原理をその制度の中核にすえることの重要性を説くことにあった」(p 98)
 「トクヴィルがアメリカの政治体制の成功を説明しようとしたときに、かれは一つの緊密に結びついた理由を挙げている。第一はかれが「習俗」ないし「心の習慣」と呼んだものであり、第二は「地域共同体」を核として形成された「真の活動的な政治生活」とかれが叙述したものである」(p117)。

 2年前にトクヴィルの『アメリカの民主主義』を読みながら、そこにアメリカにおけるコミュニティを探った訳だったが、アメリカの学者からも以上のように解説されると、なるほどと思う。そして、そのアメリカの民主主義は現在どうなっているのかと言えば、著者は以下のように書く。
 
「民主主義は国政レベルでは低減しているにもかかわらず、いまもなお旧時代的な政治文化は繁栄しており、そこには民主主義を原理とした参加型の地方自治主義がみられ、またそのイデオロギーは全体としてみればエリート主義的ではなく平等主義的なものである。国政を左右する一契機としてみるならば、たしかにそうした文化はとるに足りないものだ。とはいえ、この政治文化は毎日数多くのアメリカ人の活力、技能、コミットメントを受け容れている。ときとしてこの政治文化は、新しい政治的連帯の形成を促している(例として、公益事業や公共料金決定委員会の活動に対する抗議など)。また、ときにはこの政治文化は、専門家の専有物として伝統的に片付けられていた事業を政治の課題にすることを意味する場合もある。これらの趨勢は、トクヴィルのいう封建制的な要素とおなじく、反国家中心主義的、反官僚制的であり、変則的でもある。トクヴィルの貴族制と同様に、それらはつねに魅力的な装いをもつとはかぎらない。むしろ頑固で、地方的、近視眼的、反知性的にもなりうる。しかしそれら旧時代的なものは、国家中心主義に対する主要な、おそらく唯一の対抗勢力を代表している。このように民主主義は、トクヴィルが『アメリカの民主主義』で描きだした支配的な地位にあるのとは異なり、いまや封建制的な要素であり、ポストモダンの新しい支配体制に対する対抗原理である」(p104-105)。

 「統一と管理」を旨とする国家から見れば、「アンチ=フェデラリスト、連邦法の実施拒否者たち、南部11州の分離主義者たち、そしてヴェトナム戦争の反対者たちはすべて、反進歩主義的、文字どおり反動的であるとして、牧歌的アメリカヘの憧憬者として描かれてきた。要するに、これらの人びとはことごとく、産業化の進展に抵抗し、権力の責任を担うことを拒否する「機械破壊主義者」(Luddites)と認識されてきた」(p 12-13)と見なされてきた訳だが、それに対抗的な「「保全」の政治は1960年代に一種の復興をみたが、そのときには抗議の文化が出現し、参加政治が合言葉となった。「保全」の政治は驚異的な強靭さで生きつづけ、いくつもの広範な政治形態を発展させていった。それらは、エコロジーの政治、フェミ元ズム、性的および市民的権利、反核抗議運動やその他の数多くの動向である。「保全」の政治を取りこもうとする「管理化」の政治の諸種の努力にもかかわらず、「保全」の政治は、頑強にもちこたえているというのが現状である」(p129)という。

 「(統一と管理に対する)南北戦争後のもっとも意義ぶかい挑戦は1960年代にみられた」と著者は書く。これが60年代の対抗文化運動をさすのかどうかは定かではないが、今年は対抗文化運動の頂点にあった ”Summer of Love” の年から40年目にあたる。おりしも、ブッシュ大統領のイラク戦争への増派に反対する集会に、ジェーン・フォンダが参加したという。対抗運動の新たな予兆を感じる年の初めである。

 追記、
 柄谷行人氏は『世界共和国』の中で、「(ローマ帝国やオスマン帝国の)世界帝国はさまざまな部族国家や共同体の上に君臨したが、支配関係に抵触しないかぎり、そのなかの国家・部族の習慣に無関心でした」と書いているが、そのローカル・エリア版が、まさに封建制であるのかなとアナロジーする訳だが、以後は、そんなことをヒントに、国家とコミュニティの関係や、進歩史観ではない歴史の見方を考えていきたいと思っている。

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