« 価値形態論または大内秀明と柄谷行人 | トップページ | 脱労働力商品論と歴史の見方 »

2007年1月 3日 (水)

岡部一明氏のコミュニティ論

Photo_12  年末に、有楽町の東京国際フォーラムで行われた「コミュニティ資源の形成とICT-意思としてのコミュニティ形成-」というシンポジウムに行ってきた。このシンポジウムは、日本社会事業学会の主催であるが、コーディネイトしているのは岡部一明氏である。

 1990年頃、生協でやっていた研究会に岡部一明氏を招いた時に、アメリカのNPOの話を初めて聞き、新鮮かつ衝撃であったが、その後、日本に戻った岡部氏が展開しだしたアメリカの自治体論は、「筆者としては、その自治体制度に最も大きな衝撃を受けた」(※「アメリカの自治体制度」)とあるように、さらに新鮮かつ衝撃である。
※ 
http://staff.nagoya-toho.ac.jp/okabe/ronbun/jichius.html

 岡部氏は「アメリカの自治体制度」の序に以下のように書く。
 「アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。・・・アメリカの自治体はその存立の基本からして市民団体に近似している。すでにつくられているのでなくて、市民が自らの自由意志で結成する。
 さらに結成した後も、自治体は極めて市民団体的である。例えば市長や市議は通常、ボランティアだ。・・・市議の数も通常5人から10人程度で少ない。夜開かれる市議会は住民集会のようなもので、市民が自由に参加できるのはもちろん、だれでも1議題につき1回まで発言さえできる。連邦、州、自治体レベルにはりめぐらされている公開会議法(Open Meeting Laws)がこうした市民の発言を保証している・・・。そこで見聞する自治体は、それまで「行政」としかとらえることのできなかった日本の自治体と大きく異なるものだった。私たちは本当に自治体というものを知っていたか・・・」と。

 シンポジウムの基調講演は、アメリカのポートランド州立大学教員のスティーブ・ジョンソン氏の講演で、ジョンソン氏は「Social capital が衰退し、人を信頼することも低下してきており、人々は共同できなければ、政府に依存するようになってしまう。政府や税金に依存しない方向、Wisdom of Crowd(衆合知)で問題を解決するためのコミュニティの必要と、ポートランドにおけるITの活用例」を報告した。

Photo_11  岡部氏は、1980年代の半ばに、アメリカにおける市民によるパソコン・ネットワークの活用状況をフィールドワークして、『パソコン市民ネットワーク』(技術と人間1986年刊)にまとめているが、そこで、スティーブ・ジョンソン氏らの対抗文化世代によるパソコンの開発と活用、さらには電話料金の安さ(市内通話は無料)や非営利団体の存在について、驚きをもって報告している。
 その後、オークランドの日系NPOのJPRNに参加した岡部氏は、東京にもJPRNの支部を置いて、精力的にアメリカのNPOを日本に紹介しだした。私が、岡部氏と出会ったのもその頃で、当時、岡部氏は平河町の神社内にあった須田春海氏の主宰する市民運動全国センター内にJPRNの事務所をおいて、NPOの啓発活動をやっていた。

 そのおかげで、1998年末に日本にも特定非営利活動法ができ、現在既に3万近いNPOが誕生したが、日本の場合、NPOにしろ、コミュニティ・ビジネスにしろ、行政との関係をあてにしがちである。もともとNPOは、税金を使った行政による活動の非効率、高コストに対して、市民による民間非営利活動として対置されたのに、日本のNPOが行政との関係をあてにするというのでは、何のためのNPOかということになってしまう。
 
 夕張市の倒産は、今後の日本の自治体の行方を暗示している。「日本は民主主義か」(1997年)という文章※で、岡部氏は「日本に自治体はあるか。―ない、というのが私の結論だ」と書いている。NPOは法律によって制度化されても、それを支える民主主義や自治体の在り様はまだまだちがうというのが、岡部氏においては実感なのであろうかと思われる。※
http://www5d.biglobe.ne.jp/%7Eokabe/kiji/minshu.html
 「アメリカの自治体制度」に岡部氏は、「自治体は領域をもった全員加盟制のNPOである」と書いているが、これは自治体とNPOの提携のことなどではない。岡部氏は、「日本にNPOはあるか。―ない、というのが私の結論だ」と言いたいのかもしれない。

 1990年代の初めにグリーンカードを取得してアメリカに渡った岡部一明氏は、2001年に日本に戻って大学の先生をしている。「共和党政権のアメリカには居たくない」と言って戻ってきたが、その一方、今回の講演会では「インターネットもパソコン革命も、アメリカから生まれた。新しいものは、文化がぶつかり合うところで生まれる」と、アメリカを前向きに評価する。

 アメリカについてのこのアンビバレントな感覚は、単に共和党か民主党かといった問題ではなくて、アメリカという国の本質にかかわる事柄であるという気がする。それは、アメリカは「コミュニティと資本主義と国家」が純粋に生成した国であるからであると私は考えるのだが。いずれにせよ、市場原理主義によるアメリカ型資本主義への対抗を考えるには、市場経済でないものを考えても、かつての社会主義の二の舞にしかならないだろうから、市場経済と両立するコミュニティづくりを考えるしかない。そして、それにはアメリカにおけるコミュニティづくりを学ぶのがよいというのが、シンポジウムの感想である。

 シンポジウムの始めに、主催者は「これまでコミュニティは習慣であったが、ポスト資本主義社会では、コミュニティは意思となる」というP.F.ドラッガーの言葉を引用して、シンポジウムの位置づけをした。これが、今年の課題である。

|

« 価値形態論または大内秀明と柄谷行人 | トップページ | 脱労働力商品論と歴史の見方 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113260/13318648

この記事へのトラックバック一覧です: 岡部一明氏のコミュニティ論:

« 価値形態論または大内秀明と柄谷行人 | トップページ | 脱労働力商品論と歴史の見方 »