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2007年1月30日 (火)

(前ブログの補足)経済政体システム

 『アメリカ憲法の呪縛』は、1980年代のレーガン政権の頃に書かれた論文集だという。その中でレーガン政権の特質を書いた「集合体のアイデンティティと立憲的権力」から、以下のノートをしておきたい。これらは、ポスト工業化社会における権力の在り方や、非営利組織の考え方について、とても示唆的である。

 「資本主義は、不断の技術革新を要請する国際競争の猛烈な要求に強いられて、結局は社会的に不安定な帰結をもたらし、みずから恐れる不安定性そのものを助長するような方策に依拠せざるをえなくなる。工場は閉鎖され、国外移転がおこなわれ、労働者たちはみずからのルーツを引き技かれ、労働市場の指令にしたがうことを余儀なくされる。経済的「勢力」のもたらす害毒を抑制する種々のプログラムヘの社会的支出は、資本の蓄積を危険に陥れることのないようにと削減される。こうして、競争という緊急事態によって、仕事、技能、場所という定着したアイデンティティ、および家庭、近隣という伝統的諸価値は、ずたずたに切り裂かれる。これらは、通常の場合、集合体のアイデンティティならびに究極的には国家権力それ自体を背後にあって支える文化の中枢をなす諸契機である」。
 日本や韓国、やがては中国と、アジア諸国の工業化によって空洞化のすすんだ80年代のアメリカでは、レーガン大統領が登場して復古主義と自由化、規制緩和、民間委託化をすすめる訳だが、これは「勝ち組」と「負け組」への分化だけでなく、それに対抗的な「仕事、技能、場所という定着したアイデンティティ、および家庭、近隣という伝統的諸価値」を破壊してすすめられる訳である。

 「前述のいくつかの展開は、アメリカの自己理解の中心に位置する二つの相反する神話にも反映されている。一つ目の神話は過去に確証を求めるのに対して、二つ目の神話は未来に希望を託す。第一はファンダメンタリズム(根本主義ないし原理主義)の神話であり、自由な企業運営のシステムを回復させ、建国の父祖たちが抱いた意図、そして制限的な統治権力にかかわる最初の憲法の意図を復権させ、宗数的信仰を復興させようとする。・・・
 仮りに第一番目の神話が旧時代的、復古主義的であるとしたならば、いま一つの神話は未来主義的であり、また革新的である。くり返しみられる一連のテクノロジー革命の興奮の渦に巻きこまれてしまったこの第二の神話によれば、アメリカの支配権を維持していく唯一の道は、科学の優位性を保持することに献身する社会、みずから急激に変化できる適応力をもった社会になることである(p21)。
 「(擬似伝統主義が)レーガン主義のイデオロギー的中枢に位置する二元論のなかに具現化されているものである。復古主義は明白な進歩主義と一対になっており、この点こそ、レーガン主義の保守主義と他のほとんどの保守主義的諸傾向とを画するものだ」(p28-30)。
 「復古主義と進歩主義」とが一対になっているというのは、前に19世紀末から20世紀初頭のエドワード・ベラミーの『かえりみれば』や、IWWを中心としたアメリカの労働運動についてのブログを書いた時にも、その特質としてふれたが、これはアメリカの保守についても同様であることが分かる。

 「レーガン大統領のレトリックがつくりだす印象とはべつに、レーガン政権の歴史的重要性は、国民に権力を返還することや中央集権的・官僚制的権力の規模縮小をはかることにあるのではなく、国家権力の持続的な近代化と強化にある。そのヴィジョンは、ジェファソン主義的なものではなく、経営管理主義的なものである。それは、「より無駄がなく、より注意ぶかく焦点を絞っていく連邦政府の役割」にかかわるヴィジョンであり、「より無駄がなく、より効果的な連邦政府の構造」にかかわるヴィジョンである。・・・社会プログラムを縮減させようとする政権の努力は、国家を、経営管理する側の統御しやすく扱いやすいものとする努力によって、国家を強化しようとする試みであったことがわかる。その意味するものはかならずしも偽善ではなく、むしろそれよりはるかに重大なことである。それは、いわゆる公的セクターと私的セクターとの境界線を根本的に変更しようとするレーガン主義の公然たる目的のなかにすでに示されていた」(p30-31)。
 「1980年代になると、これらの比喩的な境界線が再転換される徴候が見えはじめてくる。その主たる原動力のーつとなったのはレーガンの「任意主義」(voluntarism)のイデオロギーであったが、それはこれまでは公的領域の専有権ないし主として公的機能とみなされてきた種々の社会的サービスを、私的セクターが引き受けることを奨励する施策であった」(p32)。
 アメリカでは80年代をつうじて、NPOやネットワーキングやパソコン通信は広まった。これらは、60年代に興隆した対抗文化運動の再生とも言えるが、一方では、上記のような側面もある訳である。

 「合衆国に生まれつつあるのは、新しい形態の権力の全体化である。そこには、国家がみずからの機能を市民社会の代表者に請け負わせることによって、国家支配の実態をあいまいにしながらも、同時に社会の規律的手続きを引き締めていく仕組みがみられる。この新しい形態は「国家」あるいは「プロレタリア階級の独裁」という仕方で表わされるのではなく、「システム」として示される。このシステムのもつ全体性への傾向に注意を喚起するために、わたしはそれを「経済政体システム」(the system of the Economic Polity)と呼びたい」(p35)。
 民営化しながらの再統合、これはポスト工業化社会におけるソフトな支配の仕組みとも言えるし、マル経的にはポスト国家独占主義段階の資本主義のあり方とも言えるだろう。また、80年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を豪語したものの、その後のアメリカの「経済政体システム」によるグローバリゼーションの仕掛けと、韓国や中国の追い上げによって、80年代のアメリカ同様の経済不況に陥った日本で、その後、ブッシュの盟友の小泉政権がとった政治のモデルであり、現在の安部政権もより復古主義にシフトさせながら、これを踏襲しているといえる。

 果たしてこの先、現在は追い上げている中国なども、同様になるのだろうか。これからは「科学の優位性の保持」やソフト開発競争が永遠につづくのだろうか。資本主義と地球温暖化もつづくのだろうか。
 しかし、それへ対抗するものが、「仕事、技能、場所という定着したアイデンティティ、および家庭、近隣という伝統的諸価値」、いわばコミュニティにあるということも分かる訳である。

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