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2006年11月 7日 (火)

mixiでのコメント

 「コミュニティ社会の構想」に対して、mixiでいくつかのコメントをいただいた。
 Yoshiさんからのコメント①「欧米一辺倒ではやって行けない現実が、あちこちにほとばしりだしていると強く感じます」と。そこで、これまでの整理も兼ねて、以下のコメントを書いた。 

 ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、聖地イェルサレムを共有する元々は同根の宗教であったと思われます。現在ではキリスト教とイスラム教が、その育まれた風土を異にするために、ちがう宗教であるかのようになって、対立する様相を呈していますが、それは原理主義者どうしの対立であって、共に原理主義を生み出すという宗教としての共通性があります。

 それに対して、ヒンドゥー教や道教や仏教などの東洋の宗教は原理主義を生まず、とりわけ日本にまで至ると、その風土に同化して、かなりイイカゲンな宗教に落ち着きます。

 東洋の宗教といっても、儒教を宗教とするかどうか、難しいところがあります。これを宗教的にアレンジメントして、反欧米を宗旨にすると、かつての日本の軍国主義とか、現在の北朝鮮とかになってしまします。

 さて、おっしゃるように「欧米一辺倒ではやって行けない現実」がありますが、ここは欧米か、非欧米か、というよりは、原理主義にならないようにやらなくてはいけません。ブッシュは、謂わばアメリカ原理主義者です。

 要は、経験主義が必要です。そして、この経験主義に基づくものとしては、保守主義と地域主義があります。学者でいえば、佐伯啓思氏とか西部ススム氏は、保守主義を提起しています。そして私は、地域主義(コミュニティの構想)を言う訳です。 

 Yoshiさんからのコメント②「それと、感じるのは、ベルリンの壁崩壊後、緊張感の上に奇妙なバランスが取れていた、共産主義とのイデオロギー的対立が事実上なくなったことが、原理主義の再登場となったひとつの大きな要因であるかと・・」

 社会学者の橋爪大三郎氏は、「アメリカとソ連はとてもよく似た国だった」(『アメリカの行動原理』)と言っています。要は、ユダヤ教とマルクス主義は構造が同じだということなのですが、それにイスラム教も含めれて、みな「一神教」で、一神教の原理主義は、他の神を認めません。

 その点、日本は「八百万の神」ですから、認めるもクソもなく、そこら中に神様がいます。また、インド系では「宇宙万物との一体化」をめざしますから、イェルサレム辺りで生まれた「一神教」をはるかに超えています。
私は、西垣通氏も言うように、その辺りに「欧米一辺倒」を超える鍵があるように思っています。 

 Yoshiさんからのコメント③「原理主義者同士の対立の中で、世の中、どうしても動いていってしまうんじゃないでしょうか。要は、我々は何時までも蚊帳の外、イスラムの逆襲が始まるんじゃないかと・・」 

 かつて「文明の衝突」というのが、話題になりました。冷戦というイデオロギー対立の終焉後は、文化や宗教や歴史のちがいが、新たな対立軸になるだろうということで、主要には西欧文明とイスラム文明と中国文明の対立で、とりわけ西欧文明とイスラム・中国文明とが対立するだろうという予言です。

 現在の日本は、地理的にはアジアにありながら、西欧文明圏にいるという意味では、なかなか難しい所にいます。中国は、元々は儒教と道教と仏教のごった煮(中でも朝鮮と同様に儒教が有力)ですが、現在は社会主義という一神教をかかげています。

 しかし、いずれにせよ国際関係はパワー・ポリティクスです。中国とアメリカは、対立もすれば、手も結ぶでしょう。日本の、現在の外交は心もとないばかりです。

 もうひとつ、ヨーロッパからアメリカが引き継いで、現在ブッシュが世界中に押し付けている自由主義・民主主義・市場経済といった近代西欧の理念が、アメリカの思惑どおりに、もし世界全体で実現したとするとどうなるかといえば、次のとおりです。

 世界政府を選ぶ選挙をやると、間違いなくイスラムか中国が多数を占め、やがては西欧文明的価値観が否定されるでしょう。かつてトクヴィルが『アメリカの民主主義』に書いたように、民主主義の大衆化は「多数はによる専制」という事態を生み出す訳です。

 自らもフランス貴族であったトクヴィルは、貴族制の存続の必要を言います。イギリスの保守党や2大政党制というのも、同様な背景から形成されたのだろうと思われます。いずれにせよ必要なのは、この辺りの知恵なのではないかというのが、今の私の考えです。 

 次に、ましうさんから以下のコメントがあった。 
 「社会主義を一神教と言ってしまうのは、少々乱暴な気がしますが、どうでしょう? 」と。

 社会主義も西欧の近代合理主義思想の一バリエーションです。近代合理主義思想は、デカルトに始まりますが、デカルトは真理を創造したのは神であることを前提にしています。
 マルクス主義は、自然科学を歴史にも適応して社会科学としました。デカルトとちがって無神論ではありますが、真理からの演繹=自然科学と社会科学によって全ての説明は可能だとして、真理の実現された世界=共産主義をめざすところなど、一神教以外の何者でもありません。

 しかし、民主的な市民社会の実現という近代合理主義による啓蒙思想は、フランス革命をしてジャコバン主義という専制と虐殺を生み、やがてトクヴィルが書いたように、民主主義の徹底は「逆に多数者による専制→独裁政治→民主主義の否定」を生み出すのではないかという危惧と、もし神がいなかった(or 死んだ)なら、真理も存在しないというニヒリズムを生み出しました。

 19世紀末から20世紀にかけての科学の発達も、ニュートン的世界観を相対化し、哲学の領域ではフッサールが現象学を起こして、ニュートン的世界観に先立つ世界を開示しました。さらに、フッサールの弟子だったハイデッガーは、現在のポストモダンに至る実存主義の哲学を生み出します。

 実存主義をはじめヨーロッパ大陸系の哲学は、イギリス・アメリカのアングロサクソンには全く不評だそうですが、ウィトゲンシュタインはハイデッガーに共感を示したといいます。この辺りは、ましうさんの方が得意でしょうが、「真理=教義」から全てを説明しようとする一神教よりも、「語りえないことについては、沈黙しなければならない」ということの方が、まともと言えばまともです。 この辺りでも、イギリスの経験論が見直されます。

 ブログにもコメントの機能と、トラックバックの機能があるが、レスポンスが良いのは、やはりSNSである。
 SNSは、それまでのHPとメイリング・リストとブログの機能をコンパクトにしたような機能のほかに、仲間を選別してコミュニティがつくれるため、怪しげな書き込みもずっと少ない。ブログへの書き込みが、後だしになってしまうのは、むべなるかなである。

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