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2006年10月31日 (火)

コミュニティ社会の構想

 先々週末は、コミュニティ的的ビジネスと称して、4日連続で酒飲みをした。10月はDTP仕事がほとんどないので、営業活動でもすればよいのだが、こういう時こそ本来やりたいことをやるのが良いのだと割り切って、先週末からは4日連続で書きものをしている。これまで、このブログなどに書き散らかしたものをリライトしているだけなのだが、全体のテーマは「コミュニティ社会の構想」とした。現在WordのA4で50ページを超えるくらいの分量である。以下は、リライトした一部である。

①SNSとコミュニティ・ビジネス
 最近、mixi(ミクシイ)というSNS(Social Network Service)話題になっている。このSNSというのは、会員制のHPとブログみたいなもので、同趣味の人が集うコミュニティもあって、若い人が中心だが、最近は団塊の世代もけっこうやっている。
 80年代のパソコン通信とBBS(電子掲示板)にはじまり、90年代のインターネットとホーム・ページから、2000年代には誰でもつくれるブログ、そしてSNSへと、個人による情報発信の波が、ヴァーチャルなコミュニティをつくるところまで来たのである。
 アメリカにおける市場経済の進展とそれへの対抗運動を見ていると、対抗運動の側には常に「原点としてのコミュニティへの回帰」というモチーフがあることが分かる。70年代の対抗文化運動の中から生まれたパーソナル・コンピューターは、よりオープンに、よりパーソナルな方向へ展開をしながら、とりあえずはヴァーチャルなコミュニティづくりまで来たかというのが、私のSNSについての感想である。
 mixiは日本のサイトだが、SNSのモデルが作られたのはアメリカである。かつてのNECのPCのように、日本人のIT事業の発想は、やはり「囲い込み」になりがちだが、アメリカではパソコンの開発は、初めからオープンである。それは、コミュニティのつくられ方そのものがそうであり、岡部一明氏によれば、アメリカでは自治体そのものが市民の手によってつくることができるのだそうである。
 だから、1960年代の対抗文化運動、ヒッピー・ムーブメントがコミューンづくりに向かい、70年代にIBMパソコンに対してパソコンが開発されて、80年代のパソコン通信ネットワークから、90年代のインターネットをへて、SNSが登場して、そこにヴァーチャルなコミュニティが無限に生み出されていくというのは、むべなるかなである。

 西垣通氏が言うように、情報化はアメリカにおける「一神教的な進歩思想」の賜物であって、SNSもそのような範囲のものであるのかもしれないが、コミュニティがキイ・ワードになることによって、それはもうひとつのコミュニティとの接点にもなりうる。西垣通氏が「ユダヤリキリスト教が生んだものが近代科学です。近代科学の中からオートポイエーシスという考え方が出てきたのですが、それがもう一つの普遍思想である古代インド哲学とか仏教と共鳴してくるというのは、とても面白いことですね」と書くとおりである。
 それともうひとつ、西垣通氏「ユダヤ=キリスト教文明を相対化できる思想なり社会哲学なりは、いったいどこにあるのか。あるいはどうすれば構築できるのか」と問うのだが、これを「市場原理主義経済とグローバリゼーションを相対化できる経済や文化は、いったいどこにあるのか。あるいはどうすれば構築できるのか」と書き換えれば、それはやはり、それぞれの国や地域、謂わばコミュニティにある訳である。

 共同体間に市が立ち、市場経済の発生は、それまでの共同体を解体して国民国家を形成した。さらに市場原理主義経済とグローバリゼーションの拡大は、国家を超えていく訳だが、その結果の格差の拡大なりに対して、人々がどう身を処していけばいいのかといえば、これはやはり、コミュニティの再構築しかないであろう。
 しかしそれは、かつての共同体への逆戻りではない。世界は開かれており、どこかに閉じこもって生きられる時代ではない。コミュニティの再構築とは、身の処し方とは、各人の生き方・働き方の問題であり、いわゆる民間企業が雇用を選別する時代、ポスト工業化のサービス化がすすむ時代にあっては、コミュニティの再構築とは、コミュニティ・ビジネスの構築がキイになるであろう。
 日本で所謂コミュニティ・ビジネスというと、行政とNPOが提携して自治体仕事の下請けをやるみたいなイメージがあるが、コミュニティ・ビジネスとは民間非営利=NPOが行うビジネスであり、その広げ方である。コミュニティ・ビジネスの提携先の一つとしての行政との関係は否定しないが、21世紀型のコミュニティというのは、SOHOやスモールビジネス、コミュニティ・ビジネスで成り立つコミュニティをベースにした社会が、より広いリージョナルな共同体を構成するというイメージであり、community(共同体)と corporation(企業)と society(社会)は、一体的に生成していくものであると思われるが、いかがであろうか。

②労働価値説の再構築
 アダム・スミスの『国富論』は、
第1編など丸ごと「労働価値説」である。マルクスは、アダム・スミスやリカードの古典派経済学から労働価値説を学んで、自らの経済学をつくった。現在のアメリカは、新古典派経済学全盛の国である。同じくアダム・スミスに学んで、ふたつの経済学ができたわけだが、このことからも、これからのコミュニティづくりを考える上で、考えさせられることは多い。
 また、森嶋通夫氏は『思想としての近代経済学』に以下のように書いている。
 「リカードこそは近代経済学の父ということができる。・・・マルクスは、自主独立だという人も多いが、私はリカードとマルクスは理論的に非常に似ていると考える。したがってリカードが近代経済学者ならマルクスもまた近代経済学者である。マルクスは、リカードの労働価値論を祖述展開したが、ワルラスはリカードも認めた希少性の理論を発展させた。・・・リカードの差額地代論と、ワルラスの希少性理論はエッセンスにおいて変わりないし、しかもリカードは差額地代論において限界分析を使用している。・・・よく知られているように、マルクスもまたリカードの影響で同様の結論を出している。・・・リカードには二人の偉大な後継者があった。それはマルクスとワルラスである。・・・これら二つの学派は、100年以上にわたる対立、緊張関係の結果、かなり違ったものに変質したが、マルクスとワルラスという原始に遡れば、両者は酷似しているのである。このことは彼らの市場観を見てもわかる」(p3-p4)と。

 素人考えで恐縮だが、アダム・スミスの労働価値説に立ち返って、もう一度、コミュニティづくりのための経済学が考えられないかと思う。『国富論』に次の一文があった。
 「一般に人間は、他人のために働くときよりも自分のために働くときのほうが、わずかしか働かない、などと想像するのはばかげたことである。貪しい自まえの職人は、出来高払いで働いている職人とくらべてすら、概していっそう勤勉であろう。前者は自分自身の勤労の全生産物を享受するが、後者はそれを親方と分けあう。前者は、べつべつの独立した状態にあるから、悪い仲間の誘惑におちいることは比較的少ないが、大製造所ではそうした誘惑のために職人のモラルが崩れてしまう場合がひじょうに多いのである。
 月ぎめか年ぎめで雇われて、仕事に精を出しても出さなくても、その賃金や手当が同じであるような使用人にくらべると、自まえの職人がもっている優越性はなおいっそう大きいといえる。食料品の安価な年には、すべての種類の職人と使用人にくらべて白まえの職人の割合は増加しがちであり、食料品が高価な年には、その割合は減少しがちである(『国富論』世界の名著31 p157)」。

 私が、いま考えていることは、こうである。「自まえの職人=SOHO型独立自営業者」をベースにした「スモール・コミュニテ=コミュニティ・ビジネスの基礎単位」が担う多様な企業の複合体としてのコミュニティの構想である。
 「スモール・コミュニティ」というのは、「SOHO型独立自営業者」たちが共有する仕事場、プルードン的にはアトリエであるが、同職組合的企業ではなく、SOHOの集合体的企業であり、コミュニティ・ビジネスのベースとなる企業である。そこでの各人の稼ぎは、コミュニティ・ビジネスを維持するコスト以外は各人のものであり、各人の事業意欲やコミュニティ・ビジネスへの貢献は、それを前提になされるわけである。
 同職組合や生協も含むいわゆる企業(corporation)では、人件費を除いた利益は、基本的には利潤や組織のための再投資のために使われるが、コミュニティ・ビジネスが生み出す利益は、コミュニティ・ビジネスへの再投資とコミュニティへの貢献のために使われる。時としてコミュニティ・ビジネスにも失敗や倒産があるかもしれないが、コミュニティ・ビジネスの複合体=地域ネットワークは、住民の仕事起しや雇用や教育をサポートし、コミュニティへ社会へのサービスの提供といった事業活動や、コミュニティ社会保全の活動などを行うのである。

 アダム・スミスは、人間の利他主義についても評価をしたが、どちらかと言えば、利己主義と経済活動の自由放任を是とした。アダム・スミスの『国富論』は、アメリカの独立宣言と同じ1776年に刊行されたが、アメリカはまさに市場経済と個人主義が開花した国となった。私たちは「公共」というと、国家や行政の領域だと思いがちだが、国家や行政が後からつくられたアメリカでは、経済活動の自由放任と個人主義と共に、公共や奉仕や援助が発生したのであった。アメリカにおける非営利活動やNPOの背景には、そういった経過と市場経済への適合性があるように思う。
 市場経済が嫌いな人は、利己主義=金儲けを否定して、公共の領域と利他主義を広めようとする。私も利他主義の大切さはよく分かっているつもりだが、「利他主義の精神と公共の領域を広げることが社会をよくすることだ」とばかり言われると、「多数者の専制」というトクヴィルの予言が実現してしまうというのが、「社会主義の失敗」に学ぶ歴史の教訓であったように思う。
 利己主義か、利他主義か、と問われれば、利他主義とは利己主義的に真面目に働くことの結果として生じるものなのだろうというのが答えだが、それがアダム・スミスの「見えざる手」のアナロジーでしかないとすれば、ここでも自由放任に対してそれをどう規制するのかといったことと同様な課題があるが、それは市場原理主義に対してコミュニティをもってするがごとく、利己主義=利他主義というビジネスが成り立つとすれば、それはコミュニティ・ビジネスをおいて他にはないだろうということである。

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2006年10月21日 (土)

イギリスのまちづくり

 先週、夏服と冬服の入れ替えをしたのに、出かけようとすると、1ヶ月前の服でも十分な陽気で、少しも秋らしくなく、気味が悪いと言えば、悪い。

 そんなで、まだ冷房をきかせた電車に乗って、20日はSBI(中小企業研究所)のフォーラムに出かけた。20日はJUNさんのEGPPとか、セブンさんの横浜ジャズプロムナードのご苦労さん会とか、ZAIMとか、いろいろな遊び場があったのだったが、前回不義理したこともあって、今回はSBIのフォーラムに行ったのだ。

 今回のSBIフォーラムは、「成熟社会のまちづくり」というテーマで、千葉商科大学の伊藤公一先生を招いてお話をうかがった。

 内容は、イギリスにおける近年の都市計画話で、近年イギリスでも郊外型の大ショッピングセンターができて、都市中心部に商店街がさびれてきているという。
 それに対して、クルマを使わなければ利用できない郊外型の大ショッピングセンターに対して、高齢者でも利用できるような中心市街地の活性化こそ都市計画の中心課題であり、それをどうすすめるのかという話である。

 イギリスでは1998年のブレア政権以降、TCM(Town Center Management)連合という手法で、タウンセンターの活性化を計っているという。
 日本でもイギリスのTCMをまねて、TMO(Town Management Organization=タウンマネジメント協議会)がつくられてきているというが、表面は似ていても、内容的にはイギリスとは随分ちがうという。

 また、近年イギリスでもアメリカのBID(Business Improvement District)による特別区もつくられてきているという。これは特別区内で、独自に税金を徴収して、その地域の開発に当てたりするものだという。

 2~3年前に、私の住宅の近くにイーオンの24時間営業の巨大なスーパーマーケットが出来て、私の住宅の下にあったコープの店が閉店になり、豆腐一つ買うのにもはるばると歩かなくてはならなくなったのだが、今月にはそこから1キロも離れていない豊洲にもっと巨大なららぽーとができた。

 そんなのを見るにつけても、地域とは何か、コミュニティとは何かと考える訳だが、伊藤先生が言うには、地域つくりには、ドイツ的な法律によるがんじがらめの規制と、イギリス的な方法があって、日本はイギリス的手法を日本の実情に合わせてやるのがいいということであった。

 この間、私が書こうとしているのはコミュニティ論で、けっこう参考になった。アバウトには、コミュニティにおけるヨーロッパ(大陸)型とアングロサクソン型があるとすれば、BIDの手法などは、イギリス人が入植したアメリカで発展したコミュニティつくりの手法が、再度イギリスに持ち込まれているといったところだろうか。

 そして、TCMの手法など、それをまた現在の日本でもまねようとしているのだろうが、私としては、そのもっと身近なコミュニティつくりを試したいと思っていて、それがコミュニティ的ビジネスであるのだが、さらにフィールドワークと称して、日々、コミュニティ的的ビジネスへである。

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2006年10月17日 (火)

コミュニティ的的ビジネス再考

 Mixiに書いた「コミュニティ的的ビジネス」の文章に対して、大阪に住む「れいじさん」から下記のコメントをいただいた。

 「コミュニティ的的ビジネス。面白そうですね。等価交換とは違うシステムとして近年よく引き合いに出される、文化人類学の概念の「贈与」的的なものも含まれることになるのでしょうか」

 せっかくだから、コミュニティ的的ビジネスを少し整理しておきます。

 巷で言われている所謂「コミュニティ・ビジネス」というのが、往々にして行政とNPOなどとの提携によるものであるのに対して、私の言う「コミュニティ的ビジネス」とは、行政との提携なしに、コミュニティ単位、もしくはコミュニティとコミュニティが提携して行うビジネスです。この場合のコミュニティは、自治体をベースにしているというよりは、自治的な人の集まりです。

 そして、私が「コミュニティ的的ビジネス」と呼ぶのは、「コミュニティ的ビジネス」に至る手前の、人々との出会いと関係つくりみたいなことです。

 どんな関係かと言いますと、自立した人間どうしの共感とリスペクトの関係です。そして、この出会いと関係は、お互いが似た者どうしであるからつくられるというよりは、異質な相手との出会によって、自らが刺激を受けて、自らの中に新しいコミュニティ的ビジネスづくりの発想や契機が生まれるような関係です。

 「贈与」について言えば、コミュニティ的ビジネスをする人は、所謂コミュニティ・ビジネスとはちがって、行政からの「贈与=補助金」みたいなものを当てにしませんし、コミュニティの他のパートナーにも、自らへの贈与をあてにしません。

 しかし、贈与を当てにしないことと、贈与しないことはいっしょではりません。コミュニティ的ビジネスは、その収益を、現行のNPOのように自らのミッションへの再投資だけでなくて、資金の必要な他のコミュニティ的ビジネスに贈与できるようにすればいいと、私は思います。

 年収300万円でも、贅沢しなければ、人は生きられます。年収1000万円以上あれば、死んでも貯金を残せるでしょう。そして資産1億円以上あれば、なかなか一人では使い切れません。

 アメリカなどでは、使いきれないほどの金を稼いだ人は、その金を財団に寄付=贈与したりします。

 日本では、税控除の法的不備で、個人による贈与はあまり行われません。日本人の貯蓄高は世界一ですから、これが贈与に回るようにしたいものですが、行政側は、税金による再配分という権能を手放したくはないでしょうから、NPOなどへの寄付の税控除の問題は、なかなかすすみません。

 ですから、コミュニティ・ビジネスと称して、行政と提携するNPOは、私に言わせれば、自己矛盾です。

 コミュニティ的的ビジネスとは、とりあえずは、出会いと関係つくりを探して歩き回ることですが、ボランティアをしたら弁当が出たとか、酒を飲んだら相手が酒代を出してくれたみたいなことが、「贈与」的的なものですかね

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2006年10月16日 (月)

『幻灯展』とコミュニティ的的ビジネス

Gentouten  今月唯一のDTP仕事(半分ボランティア)の「会報」をやっつけて、14日の夜は東向島のフルハウスの『幻灯展』に行った。
 大空襲にも焼け残った長屋の一画をオープンスペースにして、イベントなど行っている。

 オープンスペースでのイベントの企画というと、先週行った横浜のZAIMもそうだが、フルハウスは下町の長屋にある個人のスペースだから、規模も雰囲気もZAIMとはまるで違うが、訳の分からない男女が集まって来て、鳴り物入りでアートするところなど、横浜も東向島も同じである。

0710kaji_2  もっとも、東向島の鳴り物は、笛と太鼓と三味線といったところで、芸者のお姐さんが、次々と手料理を出してくれるところなど、横浜とどっちがいいかと訊かれれば、う~ん私は下町が水に合うといったところだろうか。

0710kaji  『幻灯展』は、電灯の明かりは40Wくらいにして、あとはぼんぼりやkaji-Gさん手作りのランプや、その場で手作りする走馬灯などの明かりに親しみ、ポータブル電蓄で、持ち寄ったドーナツ盤のレコードやソノシートをかけて、昭和30年代を心象し、アートするといった趣向であった。

 写真を撮ろうとデジカメを持参したつもりが、メディアを入れ忘れ、撮ることができなかった。でも、まあ懐かしさは心象に残せればいいか、といったところでもある。

 このように10月は、すぐには金にならず、いつ金になるとも知れないコミュニティ的的ビジネスと称して、訳の分からない人々が集う場所に顔を出しているのだが、少しもビジネスに発展する気配はないなと思いつつ、東向島の長屋でボーっとしていたら携帯が鳴って、出ると、札幌でNPOをやっているという人からで、明日会いたいと言うから、15日の午前中に、千住関屋町のNPOの事務所でその人に会った。

 ダルマ舎と私のやっているNPO(JJSC)について話が聞きたいというから、少し話したら、来月、旭川に講演しにきてくれませんかと言う。どこでダルマ舎やJJSCのことを知ったのかは、よく分からないのだが、ネット社会だから、HPやブログやmixiで訳の分からないことを書いていると、時々、真に受ける方もいるのかもしれない。

 でも気がつけば、北海道まで行くかどうかは別にしても、こういったことがコミュニティ的的ビジネスなのではあるまいかと、思った次第である。

 それから、上記をmixiに書いたら、先週、横浜でごいっしょしたケニア在住36年の獣医である神田俊平氏から、次のコメントをいただいた。

 「今回ノーベル賞受賞者はバングラ小規模資金援助立ち上げたもと経済人ですが、貧困問題に関わるNGOは自律支援にこの小規模資金援助を実践しています。
 これが回収できないのです。持ち逃げを地域住民で見張っていこうという主旨ですが、まただますつもりなくても、貧しくて返済できないのです。
貧困とビジネスを考えさせられた事例です。
 基本的にNGO・NPO関連者に利益追求の感覚がかけているようです。また会計士からNGO畑に入った人は基金、助成金の獲得に長けています。
 金になるかどうか? 」

 mixiを始める前は、HPとブログでネットワークづくりを考えていたが、コミュニティ的的ビジネスのためには、やはりSNSの機能が必要だと思うところである。

 アフリカでコミュニティ的的ビジネスをやるという話ではなくても、ダクタリさんの周りには、ダクタリさんを応援する多分素敵な仲間が大勢いる。ダクタリさんとのアクセスは、いわば、その仲間たちとの「仲間的的関係」になるということであり、仲間的的関係は、コミュニティ的的ビジネスにもつながる可能性があるということである。

 また、訳の分からないことを書いてしまった・・・か?

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2006年10月10日 (火)

横浜ジャズプロムナード

 10月は、小さなボランティア仕事のほかにDTP仕事はなくて、週休4日の日々。コミュニティ的的ビジネスと称して、あちこちと出歩くことにする。

061006  6日は、サッカー部のOBでつくったmixiの蹴友コミュのオフ会をやった。雨風とも強い中だったが、世代を超えて、いい酒が飲めた。

 7日-8日は、風は強かったものの、完璧な晴天。朝から横浜ジャズプロムナードのボランティアに出かけた。前日の強い雨風のおかげで、とてもクリアな日々で、どこからも富士山が良く見えた。

0bento  横浜ジャズプロムナードのボランティアは、横浜の中心街、日本大通にある情報ホールの受付を2日間やった。報酬は出ないが、崎陽軒のシュウマイ弁当つきでジャズは聴き放題、2日間でシュウマイほか弁当を5食食べ、9グループのジャズライブを聴いた。ちなみにチケットを買うと、1日で5000円である。

 7日でよかったのは、天野昇子のボーカルで、"What are you doing the rest of your life" と "Here still life"。ステージの終わった後、近くで見たら、けっこう円熟していて、なるほどというところだった。
 8日最初のステージは、八城邦義プロジェクトで、最初の曲が"That's all"。八城邦義は、八城一夫の息子で、なつかしい感じのドラマーであった。

0zaim1  休み時間には、大通りを散歩して、街角ライブを聴く。ZAIMの前とZAIMカフェでは、街角ライブが行われていて、これはもちろん無料で聴ける。左の写真はZAIMカフェ、音響のいいモダンな空間である。

 7日-8日とも、ボランティアの後は、ZAIMのガンジーさんの部屋で遊んだ。
 7日は、0d1男女3人の舞踏家とガンジーさんのコラボレーションを鑑賞。
 8日は、mixiで知り合ったアフリカ在住36年の獣医である神戸俊平さんが訪ねてきて、セブンさんやガンジーさんを紹介。
その後、ガンジーさんの部屋で、神戸俊平さんがアフリカから持ってきたチ0d3ャルメラのお化けのような楽器でセッションが始まった。やがて、ダウタリさんはアルトサックスに持ち替えて、庄田次郎さんとチャーリー・パーカーの"Now the time"を演り出し、もうほとんどNYはグリニッジヴィレッジのアパートに集まったビートたちといった乗りとなった。

 さて、ついでに横浜ジャズプロムナードの感想を少しだけ書いておけば、以下のとおりである。

0zaim4  横浜は日本を代表する港町だけあって、恵まれた景観と、旧い施設を活かしながらの再開発と、行政の姿勢もあるのだろうが、恵まれた都市であるというのが、印象であった。
 市民に開放されたZAIMもそうだが、横浜ジャズプロムナードなどの企画も、他の街から見れば、うらやましい限りである。

 40年前に、1960年頃のニューポート・ジャズフェスティバルの記録映画である『真夏の夜のジャズ』という映画を観た。同じ頃に観た同じドキュメンタリー映画である市川昆監督の『東京オリンピック』は、ほとんど記憶にないのだが、『真夏の夜のジャズ』は、そのプロットや演奏シーンが、40年たった今でも強烈に残っている。

Program  横浜ジャズプロムナードも、いわばジャズフェスティバルである。しかし、ニューポート・ジャズフェスティバルが半世紀も前にNPOによって執り行われていることに対して、横浜ジャズプロムナードが、多数のボランティアに依りながらも、やはり行政による企画であるということのちがいを、少し感じたわけである。

 各会場には、行政と財団から職員が配置されていて、各会場の入場者の調整や全体の管理を行っていた。また、こういったフェスティバルなど、行政のサポートでもなければ、財政的にも難しいことも多いと思う。
 一方、ニューポート・ジャズフェスティバルの場合は、NPOの主宰で、民間(煙草会社のKENT)の支援を受けていた。余談だが、私がKENTを吸うのは、そのせいである。

 行政との良好な関係とは、行政から支援を受けられることもそうだが、もっと自由に自主的にやらせてもらえることもそうである。財政的な自立の問題も含めて、たとえ行政からの支援がプアでも、なくてもやりきれる企画なり、コミュニティ・ビジネスとはいかなるものか、私としては、まあ、こんな問題意識である。

 NPOは民間非営利活動。横浜ジャズプロムナードが、NPO活動として成立して、そこに海外からもたくさんのジャズミュージシャンが参加するようになれば、これはもう大したものである。

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2006年10月 1日 (日)

コミュニティ的的ビジネス

 さて、「仕事的的=遊び的的」であっても、収入が半減しない仕事の仕方があるかというと、仕事と遊びがフィフティフィフティというよりも、仕事×遊びの結果、クリエイティブな仕事が出来た場合には、その可能性もあるだろう。要するに、個人の仕事の創造的破壊が行われる場合である。

 そして、個人の仕事の創造的破壊がいかにして可能になるのかを考えると、その個人がクリエイティブな刺激のある環境にあることなどが考えられる。自分の持っている常識が、常に見直される環境で、雑多な人々が雑居する環境である。とりあえずは、雑多な人々といっしょに遊ぶことであるが、いっしょに遊ぶ人たちのクリエイティビリティが高いほど、創造的破壊の可能性も高くなるだろう。

 ポスト工業化のすすむ社会は、サービス業が拡大して、その新規で巨大なマーケットに人々は金を使わされる一方で、そこで自ら仕事する可能性も拡大している。働いて金を得るには、雇われて働くか、自ら仕事して稼ぐしかないが、自ら仕事して稼ぐという方法の拡大バリエーションとして、コミュニティとして稼ぐという方法もありえるだろうと思われる。

 コミュニティ・ビジネスというのも、従来型の第3セクターや自治体とNPOの提携といったレベルではなくて、例えバーチャルであっても、自主的なコミュニティそのものがビジネスを生み出す可能性をもつということである。

 これは、従来型の自治体との提携によるコミュニティ・ビジネスと比べれば、自主的なコミュニティによるビジネスであり、まあコミュニティ的ビジネスとでもしておくことにする。そして、その母体となるのが、「的的=適当=イイカゲン」な人間が「雑居」する「コミュニティ」である。最近、私はこのブログよりもSNSのmixiにばかり入れ込んでいるが、そこには、バーチャルだが、その可能性が潜んでいる気がするのである。

 10月は、その可能性を探して、あちこちをフラフラしようと思っている。すぐには金にならず、いつ金になるとも知れないこの営為を、とりあえず私としては「コミュニティ的的ビジネス」とでもしておこうかと思う。

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仕事と遊び

 10月発行の社内報の仕事が終わった。あとは、DVDに焼いた印刷データを明日の午前中に印刷屋さんに届けるだけである。今日から10月、6~9月と順調に仕事があったが、さて、問題は来月以降である。8月末にかつての上司を誘って一杯飲んだのだったが、かつての上司はもはや窓際状態。あてにしていた仕事がとれずに、10月はDTP仕事がない。

 そこで、10月は端境期と割り切って、直接には金にならない仕事と、種まき活動をやるしかない。
 備忘録的に書けば、以下のとおりかな・・。

①4-5月の暇な時に作りかけたビート系リトルマガジン『Heart Beat』№5を出版する。
②ブログに連載中の「コミュニティ論」のつづきを書く。
③大内先生に出版企画を相談する。
④来年の『蹴友』増刊号の発行に向けて、楽して原稿を集める仕組み=mixiの「蹴友」コミュを充実させる。
⑤仕事はどこに転がっているか、芽があるか分からないから、営業を兼ねて、あちこち動きまわる。

 会社勤めを辞めてやりたかったのは、貧乏覚悟で、仕事を遊びにすること、もしくは、遊びを仕事にすることであった。そこで、「仕事=遊び」は可能かを考えると、結論から言えば、仕事と遊びは違うから、そのままでは仕事と遊びはイコールにはならない、となる。では、どうしたら仕事を遊べるかを考えると、以下のようになった。

 まず、仕事的に遊ぶ、遊び的に仕事するとする。
 「○○的に」というのは、○○の7割くらいだと考えると、仕事的に遊ぶというのは、仕事7割、遊び3割の感覚で仕事することになる。

 次に、仕事的的に遊ぶ、遊び的的に仕事するとする。
 「○○的的」というのは、7割×7割だから、○○の約半分となる。
 すると、仕事的的に遊ぶというのは、半分仕事して、半分遊ぶことになる。
 また、遊び的的に仕事するというのは、半分遊んで、半分仕事することになる。

 うむ、こうなると「仕事的的=遊び的的」が成り立つのではないか!
 大発見である! 10月はこれでいくべえ~~!

 もっとも、仕事的的の場合は、収入が半減することは、言うまでもない。
 トホホ・・・というよりは、これでいいのだ、といった生き方をするのだ。
 まあ、的的人生とでも言うか・・・である。

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