« アメリカの共同体(コミュニティ) | トップページ | 100年前の可能性 »

2006年8月 1日 (火)

ホイットマンと夏目漱石

 6月以降DTP仕事は順調で、DTP仕事を済ます毎にブログを書くというペースである。以下の話は、「コミュニティ論」の少し遠回りではあるが、前に少し書いた「100年前のグローバリゼーション」のつづきであり、これも先の大内先生のコメントが参考になっている。
 日常のことは、ついSNSのmixiに日記してしまうが、仕事して、読書して、雑文して、詩を詠んで、酒飲んでと、下流遊民ライフを楽しむ日々である。

 黒船=ペリーの艦隊が日本に来航するのは、今から約150年前の1853年で、ゴールドラッシュで太平洋岸まで大陸を突き抜けたアメリカの発展を契機にして、それまでのヨーロッパを中心とした近代化とグローバリゼーションは、太平洋を越えて日本にも及んだ。

Whitman  ウォルト・ホイットマンは、印刷工や小学校教師、民主党系の新聞社の記者や編集者をする政治ジャーナリストであったが、1855年に詩集『草の葉』を出版、以後、生涯にわたって『草の葉』を改版する。
 1860年に日米修好条約の調印のために幕府の使節団が訪米するが、その行列を見たホイットマンは、
“壮麗なマンハッタンよ!
 わが同胞のアメリカ人よ!
 われわれの所へ
 この時遂に東洋がやってきたのだ”
と、「ブロードウェイの行列 日本使節団を歓迎して」と言う詩を書いた。ただ一人、ホイットマンの『草の葉』を認めたエマソンが共鳴した東洋が、ホイットマンの目の前に登場しことへの感動であろうか。

 また、1865年にリンカーン大統領が暗殺された時に、ホイットマンは次の「遅咲きのライラックが前庭に咲いたとき」という詩を書いている。
“遅咲きのライラックが前庭に咲いて、
 西の夜空に大きな星が早くも沈んでいったとき、
 わたしは嘆き悲しんだ、そしてなお、永久に帰ってくる
  春ごとに嘆き悲しむことであろう。・・・”
 ホイットマンにしてはめずらしい叙情的な詩である。ホイットマンが『草の葉』に描こうとしたのは、アメリカという国の原風景であったが、この詩は、南北戦争前後からの産業発展の中で失われていくアメリカの原風景へのオマージュであるような気がする。

 南北戦争後のホイットマンは、アメリカ資本主義の発展からは離れて、キャムデンに住んで自然の中で暮らす。『ホイットマン自選日記』を書くホイットマンは、「わがアメリカの優秀性と生命力は、われわれの一般大衆の中にあるのであって、旧世界におけるように紳士階級の中にはないのです」(『自選日記・下巻』P109)とあるように、相変わらずポピュリストであり自然主義者でもあった。

Souseki  ホイットマンは、1892年3月に亡くなるのだが、同年10月に夏目漱石は「文壇における平等主義者の代表者『ウォルト・ホイットマン』の詩について」という文章を書く。その後、1900年に夏目漱石は文部省派遣の留学生としてイギリスに渡るが、産業化の進んだ近代西洋を目の当たりにした漱石は、ノイローゼになって帰国する。

 もし漱石が、その5年後に私費でアメリカに渡った永井荷風と同様に、私費でアメリカに渡ってホイットマンとかエマソンの研究でもしていたら、果たして漱石はノイローゼになっただろうか。
 そして、もし幸徳秋水が1905年にアメリカでなくて、イギリスに亡命していたら、果たして幸徳秋水は如何なる社会主義者として帰国しただろうか。
 19世紀半ば以降、世界の資本主義化とグローバリゼーションは急速にすすむが、20世紀の初頭に、ひとつのターニングポイントがあったように思う。

|

« アメリカの共同体(コミュニティ) | トップページ | 100年前の可能性 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113260/11175395

この記事へのトラックバック一覧です: ホイットマンと夏目漱石 :

« アメリカの共同体(コミュニティ) | トップページ | 100年前の可能性 »