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2006年7月21日 (金)

アメリカの共同体(コミュニティ)

 前のブログに大内先生からコメントをいただいた。「永井荷風と幸徳秋水」の次は、何を書こうかと迷っていたら、大内先生からのコメントを読んで、パソコンのクラッシュ前に書こうとしていたことを思い出した。大内先生のコメントへの対応というかたちで、それを書いてみようと思う。

 メイフラワー号に乗ってイギリスからアメリカに入植した植民者たちが、最初につくったのがコモン(common)であったといわれます。コモンは、本国のイギリスにある共有地のことですが、入植者たちはコモンに面してコモン・ハウス、またはミーティング・ハウスと呼ばれる集会所をつくって、入植地(コロニー)の運営=タウン・ミーティングをしたようです。

 また、入植者たちはイギリス本国におけるイギリス国教会による宗教的迫害から逃れてきたピューリタンと呼ばれるカルヴィニストであったわけですが、彼らが追求したのは聖書中心の福音主義であり、純粋な個人の信仰でありました。要するにピューリタンは、イギリス本国で実現できなかったことを新世界アメリカで実現しようとしたのであり、彼らの殖民したエリアを“ニューイングランド”と名づけたのでした。

 アメリカにおける新世界的共同体=コミュニティは、当初は宗教的、理念的に志向されたのでありますが、アメリカでは連邦政府ができる以前からコミュニティが存在しおり、独立後もトクヴィルが見るように、人々は個人主義的、商業主義的ではありながらも、同時に公共精神を持ち、連邦政府よりもコミュニティを志向しています。

 しかし、トクヴィルが見た19世紀前半のアメリカ以降、とりわけ南北戦争を契機にアメリカの資本主義の大発展が始まり、政府は市場原理主義と自由主義、社会的ダーヴィニズムを国是としていましたから、人々貧富の格差は急速に拡大して、それに対してポピュリズム(人民主義)運動が起こり、ベラミーの『かえりみれば』が書かれて国民主義的なベラミー・クラブが広がり、世界産業労働組合(IWW)が誕生することになります。

 そして、それらの運動に共通する特徴は、ヨーロッパに見られるような、いわゆる社会主義的な「革命」運動であるよりは、建国の原点=コミュニティに立ち返ろうとするアメリカ的な運動なのであります。
 前に紹介したIWWについて書かれた『ウォブリーズ』と『IWWとアメリカ労働運動の源流』には、以下のように書かれています。

 「たいていの西欧諸国は賃金奴隷制をともなう産業資本主義の途をとらざるをえなかったのだが、それは西欧諸国ではアメリカよりもより永い期間をかけてより堅固につくられていた。これに反してアメリカでは、西部の大平原一帯にわたって、罠猟師や商人、自営農民、牧揚主や探鉱者たちについての記憶はいまなお生き生きと人々の胸にとどめられており、すでにロマンティクな神話のゆたかな伝統によってちりばめられていた。ひとつの共通の要因が、右にのべた職業に従事するすべての人々を統合し、彼らをとりまく伝説の網をつらぬいてー本の糸に紡がれていた。それはほかでもない。不屈の独立精神である。そして、賃金制度ではなく、まさにこうした独立不覇の精神こそが辺境を開発したのだった・・・・・要するに、世紀の転換期にさいして、・・アメリカの賃金制度にたいしてつきつけられた抗議は、ヨーロッパにおけるこれと同様な抗議よりもはるかに草の根に近いものだった。ヨーロッパの労働者たちは、この当時には賃金制度より他の制度をほとんど記憶によみがえらすことはできなかった。いいかえるなら、彼らは賃金制度にかわるべき制度をはっきりと心にえがくことさえできなかった。だが、より一層快適な生活の幻想は辺境の近くに生活している多くのアメリカ人にとってはいまだにきわめて生き生きとしたものだった。辺境では、そうした幻想は、・・たったいま失ったばかりの生活の記憶にもとづいていたのだ」(P.レンショウ『ウォブリーズ』p76)。

 「19世紀末に別のアメリカ像を夢みた人々は・・・エドワード・ベラミー、あるいはアメリカ南部や大草原の諸州の人民党員、さらには労働騎士団の影響を受けた数百万の労働者であろうとも、ほとんどのアメリカ人は小さな農場や家内工業の仕事場で自分のために働いていた(旧き良き)時代を回顧し想像した。かれらは独立的な小規模生産者が大共和国(アタリカ)の改革のために自主的に協力する経済や社会を現実のものとして描写することができた」(メルビン・ドボフスキー『IWWとアメリカ労働運動の源流』p19)。

 「初期の指導者と組合員のほとんどは、1880年代と90年代初頭にポピュリズムとして知られる大衆に基盤を置く大規模な政治運動の高揚を経験した。それは綿生産の南部諸州、小麦生産の大草原の諸州、さらには鉱山地帯の西部の山岳諸州を総ナメにした。・・・
 人民党は、アメリカ国民を金権支配から、農民を抵当権による収奪から、労働者を賃金奴隷制から解放するように訴えた。かれらは人民が決起し、自分たちの先祖が建国のためにイギリスと闘った共和国の原理を根本的に回復するように提案した」(前掲書p33)。

 アメリカ独立革命について、佐伯啓思氏は「アメリカ独立革命は、イギリスの本来の立憲的精神に戻ろうとする運動であったということだ。そしてここにこそアメリカの独立が言葉の厳密な意味で“革命”と呼ばれる理由がある。なぜなら“革命(リヴォリューション)”とはもともと最初の状態への回帰、あるいは事物の回転といった意味なのだから」(『「アメリカニズム」の終焉』P198)と書いていますが、アメリカ独立革命とは、未完のイギリス革命の理念的再生と言えなくもありません。そして、アメリカにおける労働運動や社会主義的運動も、アメリカ独立革命の原点=建国時のコミュニティに立ち返ろうとするアメリカ的な運動なのでありました。

 ついでに書いておけば、ヨーロッパから近代合理主義の理念が移植されたアメリカの思想には、「革新主義」というか「進歩主義」というような伝統があって、これは対抗運動の側にも同様にあります。以下は、前掲書からの引用ですが、これを読むとベラミーの世界がやっと理解できます。

 「(IWWの指導者)ヘイウッドは、労働者が科学的根拠で組合を役立し、無秩序で野放図な資本主義ではなく、科学的で効率的なサンジカリズムの社会が建設されなければ労働者は決して解放されることはないであろうと主張した。このように、かれのサンジカリズム的ユートピアに向けた闘争は、科学的に組織された産業別組合によって科学的に展開されるはずであった。これもまたエドワード・ベラミーの技術的空想主義に立脚して提出された主題であり、進歩的な近代科学を崇拝し、ヘイウッドのサンジカリズムのキャンペーンと同じように、経済学者ソースタイン・ヴェブレン(Thorstein veblen)の『技術者支配』の十字軍に名前を連らねたアメリカ人の間で共感を得たものであった。・・・大規模なベラミー主義の運動を形成したのは、労働者ではなく、中産階級のアメリカ人であったし、ほんの一握りの技術エリートだけがヴェブレンの技術主義の思想から運動を創出したのである」(『IWWとアメリカ労働運動の源流』p194)。

 日本の反体制運動は、コンピューター化を否定しましたが、アメリカでは対抗文化の中からパソコンが生み出された理由も、これでよく分かります。

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