« 幸徳秋水とアメリカ | トップページ | 100年前のグローバリゼーション »

2006年7月11日 (火)

幸徳秋水とIWW

 20世紀初頭のアメリカにおいて、国籍を超えて、底辺労働者を単一の労働組合に組織しようとしたIWWは、日本人労働者の組織化もめざしたという。グローバリゼーションの進むその100年後の日本においてさえ、圧倒的多数の労働組合が外国人はおろか、日本人のパート労働者でさえ疎外しているというのに、当時も現在も市場経済を国是とするようなアメリカにおいて、100年前に!である。

 アメリカに渡ってアメリカ社会党の党員にもなった幸徳秋水は、このIWWとも接触しており、「桑港より-その2-」には、次の記述がある。
 「この手紙を書きかけているところへ、世界工業労働者組合の会員三名(みな社会主義者です)がきて、彼らの集会に出席し、演説することを依頼していきました。彼らの組合の組織・運動の模様は、次便にご通信したいと思います」と。

 また、「桑港より-その5-」には、次の記述もある。
 「社会労働党の人びとは、現時のアメリカにおける「資本労働調和」的組合に反対するがために、昨年六月から、あらたに「世界労働者同盟」という革命的労働組合かおこし、本部をシカゴにおいて、さかんに運動している。この組合に、その名のしめすように、まったく世界的で、人種的偏見などは、すこしもない。もし日本人労働者がよく団結して、この組合の一部となって提携して運動することになれば、有力な援助がえられたのだが、かなしいかな、日本労働者の多数は、社会主義も知らねば、世界的労働組合の存在も知らぬ。日本の労働者が知らぬばかりでなく、日本の紳士も名士も、いっこう知らぬ。ただ排斥派の労働組合があるのを知っているだけである。そして、それを社会主義者と混同している」と。

 1906年4月に幸徳秋水は、サンフランシスコで大地震にあい、「無政府共産制の実現」という次の一文を書いた。
 「ぼくは、サンフランシスコの今回の大変災について、有益な実験をえた。それは、ほかでもない。さる十八日以来、サンフランシスコ全市は、まったく無政府共産制の状態にある。商業は、すべて停止、郵便・鉄道・汽船は、すべて無償、食料は、毎日救助委員から給与する。食料の運搬や病人・負傷者の収容・介抱や、焼けあとのかたづけや、避難所の造営は、すべて壮丁が義務的に働く。買うといっても、商品がないので金銭はまったく無用のものとなった。財産私有は、まったく消滅した。おもしろいではないか、しかし、この理想の天地も、向こう数週間しかつづかないで、また元の資本家私有制度にかえるのだ。おしいものだ」と。

 1906年6月、オークランドで社会革命党を結成した幸徳秋水は帰朝、すぐに開かれた歓迎演説会で「世界革命運動の潮流」を講演し、そこでそれまでの議会主義から、下記のごとくゼネラル・ストライキを提案した。
 「(爆弾か、アイクチか、竹やりか。ムシロ旗か)いや、これらはみな、十九世紀前半の遺物にすぎない。近づいてきた革命の手段として、欧米の同志がとろうとしているのは、そんな乱暴たものではないのである。たた労働者全体が、手をこまハいてなにもしないままで、数日、あるいは散剤、あるレに数月になれば、それで十分なのである。そして、社会のすべての生産・交通機関の運転を停止すれば、それで十分なのである。いいかえるならば、いわゆるゼネラル・ストライキを実行するだけのことである」と。

 アメリカでの交流と経験は、幸徳秋水に新しい社会のイメージを垣間見せた。幸徳秋水はアメリカについて、「アメリカは、けっして自由の楽土ではない。もし楽士であるとすれば、それは、ただ金をもっている人の楽土にすぎない。・・・かりそめにも貧富の懸隔のあるところには、革命の怒濤が、かならずおしよせてこよう、としているのである」(「桑港より-その4-」)と書いたが、「貧富の懸隔のある」現実は、現代でも少しも変わることはないのである。

|

« 幸徳秋水とアメリカ | トップページ | 100年前のグローバリゼーション »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113260/10895598

この記事へのトラックバック一覧です: 幸徳秋水とIWW:

« 幸徳秋水とアメリカ | トップページ | 100年前のグローバリゼーション »