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2006年5月 8日 (月)

アメリカのサンジカリズム

 IWWは、100年前の「世紀の転換期」におけるアメリカに起き、「ホーボー」と呼ばれた放浪者や、英語の話せない移民労働者や黒人までを組合員にして、一瞬でも輝きながらも、弾圧でわずか20年足らずで壊滅した革命的な労働運動であった。
 市場経済が国是であるようなアメリカにおいて、「協同主義共和国」を目指したサンジカリズムの労働運動があったということ自体が驚きであるが、なぜアメリカにサンジカリズムの労働運動が起こったのか、GWに何冊かの本を読んだが、その経過をP.レンショウの『ウォブリーズ』(1973社会評論社)から要約すれば、以下のとおりである。

Wob_1  IWWを創るために集まった人々は、2005年1月に準備会を開いて、「未来の協同社会の労働者階級による統治機構のなかで労働者たちが採用するのとほぼ同じグループや部門や産業に区分された労働者階級をその内部に包擁する」労働組織を要請した。
 「IWWの創立者たちがシカゴに集ったとき、彼らがなによりも自分たちの運動に刺戟をあたえ模範となることを期待した国はフランスだった。なぜなら、フランスでは1871年のパリ・コミューンの敗北につづく弾圧ののち、1884年になって再び労働組合の活動が許されたのだが、産業別組織と戦術についてのサンジカリスト的な方法が展開されつつあったのは、まさにこのフランスの地だったからだ」。
 「ドイツとイギリスでは、1880年代に発展した新しい労働組合は、賃金その他の労働条件の漸次的な改善を目標としていた。これらの新しい組合は、当時勢力を拡大しつつあった社会主義政党との間に密接な関係を結んだ。ところが、フランスでは、新しい労働者階級の運動は、1850年代の指導的な無政府主義者プルードンの教義に影響されて、個々の工場の労働者たちは組合、いいかえるならばサンジカSyndicatsを組織したが、これはただちに全産業部門に波及した。・・・1895年には、これらのサンジカは、彼ら自身の連合体、すなわち労働総同盟CGTを結成した。フランスのサンジカリストの宣言である、1906年のアミアン憲章Charter of Amiensは、直接的な改良のための煽動を、資本主義打倒のための長期的な計画と結合した」。
 「ヘイウッドや、ハガーティ、トラウトマンのような多数のIWWの創立者たちはアミアン憲章を熟知していて・・・フランス人たちと同様に、労働者階級の権力は、直接行動とゼネストによって彼らが工場や鉱山を占拠し、資本家をロックアウトし、国家を支配するときに獲得されるものと信じていた」。(P66-68)
 「彼らは、AFLによって代表される職種別の形態をとった労働組合は、産業別組織によっておきかえられるべきだという共通の信念をいだいていた。雇主たちは、トラストや株式会社を結成することによって産業別の線にそって彼ら自身を組織しつつあったが、そうしたトラストや株式会社を相手にするとき、職種別組合は無力な過去の遺物のようにみえた。トラストにたいする賃金労働者の答えは、彼ら自身を産業別に組織することでなくてはならない」。(p79)
 
 一方、IWWの研究家である久田俊夫氏は、アメリカにおけるサンジカリズムについて、フランスなどからの影響については否定的で、氏の『妖怪たちの劇場』(1999厳松堂出版)に、以下のように書いている。

Iww  「非政治主義の労働運動という点では、IWWとCGTは確かに共通していた。けれども他方で、大きな相違点も存在した。それは、アメリカ・サンジカリズムとも呼ばれるIWW主義が、20世紀初頭のアメリカにおいて、政治的救済を得られない不熟練労働者や外国移民の組織化の必要から誕生したアメリカ固有の革命的労働運動であった、ということである。・・・フランス・サンジカリズムは、フランスがこれから経済発展しようとした時期に誕生し、技術革新によって没落傾向にあった熟練職人が帰依したフランス固有の革命的労働運動であった」(p132)
 「ヘイウッドが取り組んだ革命的労働運動は、アメリカの伝統に忠実で、典型的にアメリカ的な抵抗運動であった。それはまさしく貧困に喘ぐ多くのアメリカ人の『もう一つのアメリカの夢』であった」。(p192)
 「IWWの思想はアメリカ原産であるので、IWW主義と呼ぶのが正しいが、それは、非政治主義を採ったので、サンジカリズムの一種として解釈される。それは、素人目には議会主義を公式には否定し、サボタージュを煽動した“危険思想”であったが、社会に見捨てられた彼らには“自力救済の道”であった。
 アメリカという新興国が、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、一方で急激に経済発展を遂げて、他方で経済的弱者を見殺しにしたので、弱者であった労働者は、作業現場で一斉蜂起する外なかった。それゆえ、IWWの運動は“政治に頼らない”草の根の労働運動であった。彼らは、唯一の特権であった“身動き自由な”境遇を生かして、“本能のままに”蜂起したにすぎない」。
 「その担い手であったこれらの放浪の労働者は、カール・マルクスが予言したような熟練労働者が没落した結果としての不熟練労働者ではなく、彼が、社会革命の担い手としては、捨象したはずのルンペン・プロレタリアートであった。彼らは、産業の統帥すなわち大富豪とは対極にあって、『アメリカの夢』とは無縁であったが、彼らもまた、当時のアメリカ社会における典型的なアメリカ人であった」。(p205)

 また、久田俊夫氏は同書の付録の「幸徳秋水とIWW」で、幸徳秋水とIWWの関係について、幸徳秋水がIWWの影響を受けて「ゼネストによる社会革命」という革命的サンジカリズムに転向したとされる説に対して、その確たる証拠はないとしながら、次のように書いている。

 「幸徳は、『社会(主義)労働党の人々は、現時の米國に於ける『資本労働調和』的組合に反對せんが為去六月から新たに“世界(産業)労働者同盟”なる革命的組合を起こし、本部をシカゴに置て運動している、此の組合は其の名の示す如く、全く世界的で、人種的偏見など少しもない、若し日本人労働者が能く團結して此の組合の一部となって提携して運動することになれば、有力なる援助を得るのだが、・・・』と書いているように、確かにIWW組合員と接触はしたが、彼らはウォルシユやウィリアムズといった有力人物でもなかった」。
 「幸徳は、IWWとは無関係か、その直後にIWWから離反していく無責任な活動家の絵空事を鵜呑みにしたにすぎない。ただ、幸徳に関する様々な史料から、帰国後にテロルを含む直接行動に方向転換したことは、確実であろう」。
 「要するに、幸徳自身は、渡米中にこの国で盛んに煽動されていた急進主義に感動し、それらの主張の背景に注意を払わず、全く鵜呑みにしたにすぎない。・・・ とはいえ、『平民新聞』が発禁となって、彼が、五ヵ月の監獄生活から釈放された直後の渡米であっただけに、「帰国後の思想的な活路を見い出した」とする説までも否定されるものではない」。

 私がIWWに関心をもった理由のひとつは、まさに幸徳秋水とIWWの関係であり、その辺りのことを知りたくて、インターネットで「幸徳秋水とIWW」をキイワードにして検索したら、久田俊夫氏の『妖怪たちの劇場』に出会った訳なのである。
 果たして、100年前の世紀の転換期におけるグローバリズムは、いかがなものであったのだろうか。メルビン・ドボフスキー『“ビッグ・ビル”ヘイウッド』(1989批評社)には、次のようにある。

Bigbill  「1870年と1919年の間に展開されたアメリカの職業別組合主義、社会主義、それにサンジカリズムの歴史はより広い西洋世界における数々の重要な出来事の一部分であった。幾百万もの労働者が大西洋を往き来し、政治哲学が同じルートを旅した時期に、アメリカの労働者や政治的急進主義者は第一インターナショナルと第ニインターナショナルの世界にとって決して“ヨソ者”ではなかった。・・・ヘイウッドの生涯は興味深くしかも劇的でもある物語だが、それはまた19世紀と20世紀初頭のアメリカと他の産業先進国の歴史と深い係わりをもっていた」と。

 なるほど、ベラミーが『かえりみれば』を書き、堺利彦がそれを翻訳した今から100年前の「世紀の転換期」にも、既にヨーロッパとアメリカ、それに日本にまで至る「協同主義のグローバリズム」の波があったということなのだった。

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