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2006年5月 3日 (水)

ベラミーからIWWへ

 世の中はGWで、5月1日はメイデイで、私も労働組合している頃はメイデイに行ったりしたものだったが、労働組合しなくなってからは、GWはもっぱら読書であった。今は毎日がGWみたいなものだから、ことさらGWにまとめて本を読むこともないのだが、ベラミー読書のつづきで、このGWは20世紀初頭のアメリカにあったIWW(Industrial Workers of the World=世界産業労働組合)という労働組合についての本を読んでいる。

 19世紀のアメリカに、ベラミーのようなユートピア小説があったというのも意外であったが、考えてみれば、メイデイも19世紀末にアメリカで起きた8時間労働を要求するストライキの際、ヘイマーケット事件の冤罪で死刑になった労働者を憲章して始まった世界的な労働者の祭典である。市場経済を国是とするような国の労働運動や社会主義運動は、左翼からは軽視ないし否定されがちだが、市場経済のオルタナティブを考える時に、それを否定するようなものばかりを考えても、あまり有効でも現実的でもないのは、この間の社会主義の失敗を見れば分かる。

 アメリカにおけるアメリカ文明への対抗運動の中にこそ、市場経済とも並存可能な市場経済のオルタナティブがあるのではないかというのが、私の関心である。1年前にトクヴィルの『アメリカの民主政治』を読んだのもそうであったし、また、そういうものとしての「アメリカ型NPO」というNPOの実践でもある。しかし、ベラミーやIWW関係の本を読んで分かるのは、1830年代にトクヴィルが見た「階級のない平等なアメリカ社会(コミュニティ)」というのは、南北戦争後には、アメリカ資本主義の急速な発展によって、アメリカ人の郷愁の彼方に消えていったようである。

 南北戦争以降の60年間に、アメリカはそれまでの農業国からイギリスをしのぐ工業国へと大発展している。鉄道、鉄鋼、石油といった新しい産業を中心に「トラスト」と呼ばれる巨大な株式会社ができて、産業を支配していった。ロックフェラーのスタンダード石油や、J.P.モルガンのUSスチールといったトラストは国内市場や外国貿易を独占し、寡占化にともなって倒産した独立自営の小企業主たちは賃金労働者となったりした。また、南欧東欧からの新移民が激増して、アメリカの人口は1860年の3100万人から、1910年の9200万人へと3倍増し、言葉の不自由な新移民は都市のスラムに住んでスウェット・ワークして、工業化の底辺を支えたのであった。

 1873に大きな恐慌があり、賃下げや不平等の拡大の中で、鉱山や鉄道ではたびたびストライキが闘われた。1886年には鉄道ゼネストに端を発して、5月4日にシカゴでヘイマーケット事件が起きて多数の労働者が犠牲になった。そして、これがメイデイの始まりとなったように、19世紀後半から20世紀の初頭にかけて、アメリカでは労働運動が盛んであったが、弱肉強食を是とする社会的ダーヴィニズムが受け入れられ、産業界と政界が一体となったアメリカでは、ストライキに対して大統領が州兵をして弾圧させるというのも、あたりまえのことであった。1886年にはアメリカ労働総同盟(AFL)が結成され、1890年には「シャーマン反トラスト法」が成立したが、実際にトラストが規制されることはなかったという。

 1892年にはカーネギー製鋼会社で、1894年にはブルマン車輌会社で大きなストライキが起こった。ベラミーの『かえりみれば』が出版されて、多くの読者を獲得していったのもこの頃であろうか。1892年にはPopulist Party(人民党)結成され、Populist movementとよばれる反独占闘争を行い、1901年にはアメリカ社会党が結成されて急速に支持を拡大していった。アメリカに社会主義政党などあったのかと思うが、アメリカ社会党は、1912年の大統領選挙では総投票数のほぼ6%に当る票を獲得し、党員数は13万5000人に達し、これは最大のイギリスの社会主義政党である独立労働党の6倍に上ったという。

 アメリカにおけるマルクス主義について言えば、1850年代にドイツからの移民によってもたらされ、マルクスとも親交のあったヨゼフ・ワーデマイヤーという社会主義者がいたが、ドイツ人の社会主義者の多くは英語になじまず、アメリカでの影響力は大きくはなかったようであった。ヨーロッパの社会主義運動の中でかかげられた「普通選挙制度」などは、アメリカでは既に実施されていたし、ベラミーの描いたユートピアへの共感が、「ナショナリスト・クラブ」という国民主義的な運動になったように、アメリカ人の運動の目的は、「階級からの解放」というよりは、トクヴィルの見た「階級のない平等なコミュニティ」への回帰願望とでもいうのだろうか、「より以前にはアメリカに厳として存在していたと広範な人々によって信じられていた経済的個人主義と政治的民主主義とを国民の手にとり戻そうと努力すること」※であった。

 さて、IWWについてであるが、WASP系の熟練工を中心にした職業別労働組合であったのAFLは、高い組合費による共済制度をもっていたが、非定住型の労働者や新移民の非熟練工が起こしたストライキに対しては冷淡であった。そこで、中西部の鉄道や鉱山や森林や農園で働く労働者や、東部の工場で働く新移民の非熟練工を組織するために産業別労働組合の必要性が提起されて、AFLを脱退した一部の組合や社会主義者が集まって、1905Wob年にシカゴにおいてIWWが結成されたのだった。

※P.レンショウ『ウォブリーズ』1973年社会評論社刊

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