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2006年4月20日 (木)

市原康TRIO'ライブ

419_1  昨晩は、友人のジャズドラマー市原康君のTRIO'の自主ライブをやった。 場所も友人関係のイタリアンレストランを借りて、参加費8000円(女性5000円)、採算分岐点参加者50名とし、当日までは参加者数が読めなくて心配したが、ふたを開けてみたら参加419_2 者は80名を超えて、10万円くらいもうかってしまった。

 市原君の出身高校のの同窓生が多く来てくれて、東大病院院長の永井良三君が今回のライブの代表呼びかけ人で、永井君のNagaiリクエストで演奏された"It's only a paper moon"の演奏は圧巻であった。友情という言葉をJazzにすると、こうなるという実感である。この曲は、次に出る市原康TRIO'のCDに入れられるという話になったから、もしそうなったら必買の1枚である。(※写真は挨拶する永井良三君)

 ライブ終了後、主催者仲間で打ち上げをやって、残りの金は次回の企画費用に回すことにした。 会社勤めを辞めた後、素人プロモーターを時々やるのだったが、大体は赤字かギリギリで、こ れだけ儲かったのは、今回が初めてであった。参加していただいたみなさんに感謝である。

 今日は、夜に近所のレストランに皿洗いのアルバイトに行った。このレストランは、昨年の年末からアルバイトし出して、年が明けてからは週1回で3~4時間くらいの仕事しかないのだが、忙しい時間だけアルバイトしている。 月のバイト代は大したことないが、これで本が買える。

 先週までパートしていた24時間365日営業の外食チェーンには、調理場に包丁が無く、基本的に、鉄板とチン(電子レンジ)の世界であるのだが、このレストランにはシェフと包丁人がいて、何でも素材からつくる。外食チェーンは上場会社で、レストランは個人オーナーの店であるが、バイトする上でも、このレストランの方が精神衛生上はるかにましである。

 今週は、月曜日は労働運動家たちとヒンドゥー教の勉強会をして激論して、昨日はレストランを借り切って遊んで、今日はレストランで皿洗いと、ダイナミックな毎日で退屈しない。皿洗いから帰ってきて、一杯飲んで、これから眠るまで本を読む。明日は、NPOの事務所に行き、日曜日はドクター・セブンさんのDOORS'イベントに行く予定である。桜は散ってしまったが、なかなかいい季節が始まったものである。

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2006年4月18日 (火)

労働運動とヒンドゥー教

 先週末で、この2ヶ月間やってきた24時間営業の外食チェーンでの深夜パートを辞めた。寒かった冬をとりあえずはしのげたし、これをやっていると他のことが何もできそうにないし、そうなると、やりたいことをやろうとせっかく会社勤めを辞めたのに、本末転倒になってしまうからだ。

 辞める前のある日、社員の若者と話していたら、「この1ヶ月の間、1日でも休める社員は一人もいません」とのことだった。24時間365日営業のシステムの下に、マニュアルどおりの24時間仕事。現場の人手不足は店長(=社員)の責任で、社員(=店長)は自らそれを補うしかない。絵に描いたような、語るもなつかしい「疎外された労働」で、今時こんなロボットみたいな労働があるのかと驚かされた。

 この会社は一部上場で、かたちだけの「ユニオン」はあるものの、それは労働組合を作らせないためだけの「会社と一体になった気持ちの悪いユニオン」で、労働組合としての実態はない。その上、会社の運用システムがカルト的に作用しているのか、社員は会社にモノを言えずに、耐えるか、辞めるかの選択しかなく、辞めていく人も多いとのことだった。

 コスト削減をしなくては競争に負けてしまうという小泉流、「下流社会」流の強迫観念と、プアなマネジメントが、誰も幸せになれないどころか、働く者を不幸にする企業と職場を蔓延させつつある。

 この現場は24時間ほとんどパートだけで回っていて、パートの時給は細かく別れていてパート内が階層化されている上に、パートの会社への不満は、現場の社員に向けられる。また、社員同士も同じ現場で仕事を共有することがないから、かつて生産現場にあった働く者同士の「労働社会」が形成されることもない。

 社員の若者と話をしていて、私にも彼らと同じ年代の息子がいるので身につまされて、「(ほとんど休めないことなど)社員同士で話し合って、会社と交渉してみたら。私は若者の雇用をサポートするNPOをやっているし、労働組合にも通じているから、いつでも相談にのるよ」と、つい老婆心してしまった。

 もし彼らに会社と交渉する気があるのなら、もう少し付き合ってもいいかなとも思ったのだったが、最後の日に、社員の若者は私と顔を合わせることはなく、「危ないオヤジ」だと敬遠されたのかもしれなかった。いずれにせよ、「天は自ら救う者を救う」しかないのであるが、今の若者にとって「正社員」というカルト的呪縛からの自力による解放は、難しそうであった。

 来週からは、近所で週3日間だけパート仕事をする予定でいる。3日連続でパート仕事をして、あと4日間はフリーするわけである。ダルマ舎のDTP仕事と読書とモノ書きと、それに時々はプチ放浪などしようかと考えている。

 昨日は、久しぶりに千住関屋町のNPOの事務所に行った。行きがけに労金で金をおろして、石井さんに半年分の家賃を前払いし、メンバーが5人集まったので、6月にやるシンポジウムの打合せなどした。それから、千住大橋から京成線に乗って上野に出て「労働情報」の事務所で「グローバル研究会」を行った。

Hindho  この「グローバル研究会」は、労働組合のオルグが中心になって6年前に始めて、当初はグローバリズムの勉強をしていたのだったが、2~3年前からはイスラム教、儒教、ヒンドゥー教などの宗教を勉強している。なぜまた宗教なのか、私にはよく分からなかったのだったが、昨日オルグの人と議論をしていて分かったのは、「宗教が理解できないと、労働組合もできない」というようなことであった。私の多少の誤解の後、労働組合の世界は合理主義的な認識では割り切れない世界であり、労働運動の現状をふまえて、宗教からも学びながら、そこをなんとかしようとするオルグの熱意だけは分かったのだった。

 思えば、フリーターしているのもたいへんだが、正社員しているのもそれ以上にたいへんな時代である。仕事するとは修行なのか、人生とは苦行なのか、あるがままの世界との一体化、私をなくすることはできるのか・・・、ヒンドゥー教の世界は、広く深いのだった。

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2006年4月11日 (火)

桜の花の散るころ

 深夜のパート仕事から帰って一眠り、昼過ぎに目を覚ましてパソコンを開く。mixi仲間のkaji-Gさんから“HAPPY BIRTHDAY !!”のメールが届いていて、そうだ、今日は私の誕生日だと思い出した。起きだす前に布団の中で、凡庸な一日の過ごし方をボーっと考えていたのであったが、メールを見たら、かすかな感慨に変わった。

 2月から始めた深夜のパート仕事は、今週で終わりにすることにした。深夜に8時間以上も働くと、一日はそれで終わってしまう。NPOの事務所の家賃とか、とりあえず必要な金は稼いだし、50代後半の人生は大切にしたいものなのだ。

 昨晩、90年代にサンフランシスコでフリーライターをやっていて、現在は日本の大学で先生をしている友人から下記のメールをいただいた。
「今、フリーライターを一段下に見る学者先生たちの世界に入ってきてしまいましたが、私はフリーライターの方にこそ真に強靭な知が存在していると確信します。市場と読者に鍛えられるフリーライター万歳。で、平山さんも、この路線に入ることを心から期待します。別のバイトをするのでなく、文章で売り込む努力を」
私が今週で深夜のパート仕事を辞めようと思ったことと、まさにシンクロニシティしている。この友人と、kaji-Gさんに感謝である。

 私が最初に親しんだ詩集は、高校生の頃に読んだ島崎藤村の『若菜集』で、小説でも『春』とか『桜の実が熟するころ』が好きである。『春』は、島崎藤村をモデルにした主人公の岸本捨吉が東海地方の放浪の旅から帰ってきたところから始まり、北村透谷をモデルにした青木の自殺をへて、捨吉が新たな職を得て東北に旅立つところで終わる。かつて青木が旅立つ捨吉におくった「一輪の花さけかしと 願ふこころは、君のため」の歌と、東北に旅立つ捨吉が「ああ、自分のようなものでも、どうかして生きたい」とため息するところを、高校生の時に初めて読んで以来ずっと覚えている。このフレーズは、かつて江藤淳によって批判されたが、私は好きである。

 昨晩から雨がちで、今夜はもっと降りそうだ。桜の季節も終わって、気分は東北に下る20代の藤村と同じに、私もこの50代後半の人生を、なんとか生きていきたいと思っている。

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2006年4月 8日 (土)

モリスとベラミー

 モリスとベラミーのちがいというのは、イギリスとアメリカのちがいなのではないでしょうか。大内先生のおっしゃるように、アメリカには歴史的な共同体はありませんが、その原点に、植民者によるコロニーがありました。そして、この植民者たちは、イギリスを追われたピューリタンや、植民地で一旗上げようとする人たちでありました。

 アメリカは、カアルヴィニズムと、アダム・スミスが評価するように純粋に市場経済が花咲いた地であり、ヨーロッパの近代主義の理念が花開いた世界でありました。歴史のない新世界であるが故に、アメリカは理念先行が可能な国なのです。

 ですから、マルクスを読んだモリスは、イギリス社会の歴史と伝統を背景に『ユートピアだより』を書いたのに対して、ベラミーが共産主義社会を思い描くとすれば、歴史や文化が捨象された『かえりみれば』のような機能的なユートピアを描くことになるのだと思います。文化的には、せいぜい現在のインターネット配信を連想させる電話による音楽の配信とか、ディケンズの評価くらいですね。

 ヨーロッパに生まれた近代主義は、19世紀末にニヒリズムを生み出し、世紀末から20世紀にかけて、ヨーロッパ文明の危機と世界大戦を経る中で、思想的には現象学や分析哲学を生み出し、政治経済的には社会民主主義的な制度から、現在のEUに至る道を歩んできました。

 それに対して、2度の世界大戦を通じてパックスアメリカーナを実現したアメリカは、ヨーロッパで挫折した近代主義を、アメリカ型の自由主義と民主主義の理念をもって再構築して、ドルと軍事力をもって、これを世界中に広めようとし、これがグローバリズムからイラクでの無謀な戦争につながっているのだと思います。ブッシュは、バカはバカなりに、キリスト教原理主義を背景に、市場原理主義的自由主義と民主主義は普遍的であるとする、民族や歴史や文化を捨象した、このアメリカ型の近代主義的理念的を世界中に押し付けようとしているわけです。かつて、西部邁氏が朝日新聞に「アメリカは左翼主義国家だ」と書いていましたが、そういう意味であるのだと思います。

 合理主義思想や市場原理主義の経済学はイコール普遍的ではなく、それを押し付ければ、固有の文化と衝突します。また、市場原理主義を「科学的」と称する機械的なマルクス主義経済学に置き換えれば、ソ連によるかつてのソ連型社会主義の押し付けにも、似たところがありました。要するに、近代主義的な理念に基づいた機能主義的な社会観の押し付けという点では、アメリカもソ連も同じなわけですね。

 ベラミーの描いたユートピアは、歴史や文化が捨象されたあまりに機能的な世界観による共産主義的ユートピアであり、そのせいでやがて忘れられ、モリスの描いたユートピアには、その背景にイギリス社会の歴史と文化があり、引きつづき見直されるだろうというのが、モリスとベラミーのちがいであるのでしょうか。

 それにしても、約150年前の黒船=アメリカによる脅迫的な開国以来、日本は近代化をすすめてきて、国粋主義から左翼主義までも経過しながら、敗戦と戦後のアメリカによる民主化を経て、現在、バカのブッシュの盟友の小泉内閣によるアメリカ型、理念的な市場原理主義社会へのシフトを強めています。

 約100年前に、堺利彦は幸徳秋水らと『平民新聞』を創刊したわけですが、1910年には大逆事件によって幸徳秋水は処刑され、その後のロシア革命の影響によって、日本の左翼思想のボルシェビキ型へのシフトが始まりました。
 話が飛びますが、現在の民主党の混迷とも併せて、いま一度「新しい社会」のあり方を考え直してみたいものです。

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