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2006年3月27日 (月)

森嶋通夫こぼれ話

 かつて父から聞いた森嶋通夫氏の逸話をひとつ思い出したので、ついでに書いておく。

 海軍の大村航空隊にいた時、航空隊の基地は広いから、移動には自転車を使ったそうである。頭脳明晰にして高等数学に強い森嶋少尉ではあったが、運動神経だけはだめで、自転車に乗れなかったそうであった。そこで自転車に乗る練習をしていたある時、やっとの思いで自転車をこいでいると、兵隊たちが行軍してきて、森嶋少尉を見つけると一斉に敬礼したそうである。敬礼をされると返さなくてはいけないので、答礼のために手を離した瞬間、自転車が転んでしまって、父は大笑いしたそうである。

 それともうひとつ、海軍だから泳げなくてはいけないのだが、森嶋通夫氏は泳げなかったそうである。入隊して海兵学校の水泳訓練で、小舟から海に放り出された森嶋訓練生は海水をガブ飲みし、その晩は夕飯が食べられなくて、その分を父が食べたそうであった。

 これは森嶋通夫氏の自伝的エッセイなどどこにも書かれていない話である。これらの話をする時の父は、遠くを見るような目をして、実に楽しそうな顔をしていた。

 もうひとつ、5年前に父が「自分史」の本を自費出版したが、そこには以下の森嶋通夫氏についての記述があるので、これも記しておきたい。

 通信学校の時隣席に居た森嶋通夫少尉は大村航空隊の暗号士として勤務していた。真面目な性格の彼は他の士官が好んで行く料理屋遊び等には興味なく、隊務終了後は航空隊のそばに借りていた下宿に行って読書したり、通信科教官室に残って暗号の研究に没頭していた。或る夕方大村空から出る士官バスを利用しようと思い大村航空隊迄歩き、ついでに電信室に森嶋少尉を訪ねた。彼は丁度良い時に来た。一寸付き合えと言って通信科教官室に連れて行かれた。そこで彼は最近考案している暗号について説明を始めた。頭脳明晰で高等数学にも優れている森嶋は、現在使われている呂暗号に飽き足らず、更に使い易く硬度の高い暗りの改良に苦心していた。彼の考案したストリップ式の暗号板はこれ迄の暗号の欠点を修正したものであった。試作品は既に兵隊を使って実験し相当の成果を挙げているとのことであった。私はその晩の外出を諦め彼に付き合うことにした。森嶋の説明する要点は大体納得出来たが、さて実用に供するとなると種々の問題点が出て来るのではないかと思い森嶋に進言した。
 やがてこの暗号のことが通信長から大村空の司令の耳に入り、森嶋少尉は暗号改良意見具申のため軍令部への出張を命ぜられた。
 零式輸送機に乗った森嶋少尉は土浦経由横浜迄行き、当時根岸の競馬場跡に疎開していた暗号関係を扱う軍令部の第十課に出頭した。そこで課長や通信参謀に彼の考案した暗号板の説明をした.課長は貴様の熱意や創意は高く評価する。但し時期がもう遅い。暗号書を変えるには各地に散在する部隊にそれを送らなければならない。しかし今の海車にはその力も手段もない。たとえ欠点があっても手持ちの暗号書で最善をつくす以外に方法はないと説得され帰って来た。
 八月のある日、
大村空に森嶋少尉を訪ねたことがあった。彼は一寸来いと旨って誰も居ない所に連れて行き、一通の機密電報のコピイを見せて呉れた。それは各地の航空燃料の在庫高を示したむので極めて機密性が高く、司令副長以外には見せられない軍機電報であった。私は在庫量の少なさに愕然とした。彼はこれでは戦争を続けて行くことは不可能だとはっきり断言した。尚但し書き事項として、今後航空燃料は本土決戦に備えて極力節約すること。訓練用燃料は特攻機の訓練以外には使用出来ないことが示されていた。何れにしても敗戦は時間の問題であることを自覚した。但し森嶋少尉の好意に報いるためにも、この内容は自分だけに秘め一切口外しないことに決め終戦迄これを守った。
 森嶋君は戦後京大阪大教授を経て英国に行き、ロンドン大学教授となり経済学者としての地位を獲得した。十数年前に文化勲章を受章、内外で幾多の著書を発刊した。一九九七年に来日した際築地の朝日ホールで記念講演をした。講演終了後朝日新聞松下社主(故人)の主催でパーティが催された。私もお誘いを受けロンドンでお会いした旧知の奥様にもお目にかかったが、朝日新聞の森嶋君に対する評価と信用は並々ならぬものがあることを知った。(平山浦生『私の生涯』より)

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