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2006年2月 4日 (土)

『資本主義対資本主義』

 10年ほど前にミッシェル・アルベール『資本主義対資本主義』ctoc (1992.5.25 竹内書店新社)という本を読んだ。ベルリンの壁が壊されて、「社会主義対資本主義」という構図が破綻した後に露になったのは、「ヨーロッパ(ライン)型資本主義対アングロサクソン型資本主義」という構図であるという内容に、なるほどと思わせるものがあった。以下の文章は、当時ミニコミ誌の書評に書いた一文であるが、「イギリス━アメリカ━フランス」の三角関係の整理のつもりで、再録しておきたい。

1.資本主義の全面的な勝利
  「資本主義は、史上初めて、いま本当の勝利をおさめている。それも全面的勝利である」という書き出しで始まる本書の『資本主義対資本主義』というタイトルは、「資本主義対社会主義」という概念が、もう既に過去のものとなったことを象徴して衝撃的であった。
  かつて80年代の初頭に、イギリスとアメリカにおいてサッチャーリズムとレーガノミックスの嵐が吹き荒れ、アメリカとソ連の軍拡競争が高まるさ中に、フランスにおいてミッテランが大統領に当選し、フランス社会党が政権を取った時、ヨーロッパにおけるユーロソシアリズムの拡大と合わせて、これからの時代は混合経済と社会民主主義の時代になることが期待された。しかし、それから10年たった現実では、ソ連東欧の社会主義が崩壊したことのみならず、ヨーロッパの混合経済・社会民主主義・福祉国家型の資本主義も、経済の自由化、市場化、ボーダレス化の流れにのる新自由主義型の資本主義の波に飲み込まれようとしている。
  アルベール氏は福祉国家型の資本主義を「ライン型資本主義」、新自由主義型の資本主義を「アングロサクソン型資本主義」と呼び、両者のメリットとデメリット、対抗関係を論じながら「アングロサクソン型=ネオアメリカ型資本主義」が優位になっていく趨勢を論じ、「資本主義が、自分の力に匹敵する敵を失ったことは明らかである。そして、自らが危険な存在となったことも、もう否定できない」と結論する。そして、この結論は、本書と同じく1991年にやはりフランス人のアラン・コッタが著した『狼狽する資本主義』における「資本主義のこの勝利はあまりにも全面的であるので、ほとんど厚かましいほどである。---かくも完全な勝利は、将来にそのつけを回すおそれがある」という結論とも同じである。

2.資本主義の三つの段階
  アルベール氏は資本主義を大きく三段階に時代区分する。18世紀末に始まる「資本主義の最初の段階」とは、市民革命後に「専制国家の従来の支配に対抗するために商業と産業の自由をうち建てた」「国家に対抗する資本主義の時代」であり、19世紀末に始まる「資本主義の第二の時代」とは、「初期の資本主義の厳しさに人間味を加えようと努力した」「国家の枠組みの中での資本主義の時代」であり、20世紀末に始まる「資本主義の第三の段階」とは、「あらゆる場所での国家の力を避け、市場が自由に動き、社会が創造的エネルギーを発揮できるようにする」「国家の代わりとしての資本主義の時代」であると言う。そして、「今われわれは、『資本主義の第三段階』に入ったところである。国家の代わりとしての資本主義の時代である。それに気づくのに、10年かかった。実際にすべてが始まったのは1980年、サッチャーとレーガンが、ほとんど同時に選挙に出た時であった」と言う。
  かつて、私たちにとって資本主義の三段階論といえば「原理論・経済政策・現状分析」の三段階論であったが、現状分析の時代を1980年以降とすれば、本書における時代区分も大方これに対応している。ならば、なぜネオアメリカ型の資本主義が優位になっていくのか、資本主義の第三段階とはどんな時代なのかを現状分析してみれば、前述のアラン・コッタの『狼狽する資本主義』においても同様であったが、それは情報化と金融化と国際化の進展に特徴づけられている。アルベール氏は言う。「金融界の論理は二つある。一つは、国家や国境は無視して広がっていくもの。つまり国際化の論理だ。金融には、国内市場は狭すぎてもう間に合わない」「金融のグローバリゼーションは、超リベラル資本主義を普及させる」「先進国の経済が世界的規模で動くようになって、国家はゲームから締め出されてしまった。政府の方針が何なのかは無関係なのだ。国家に社会的政策を期待しても、ほとんど見込みはない」「本書に目的があるとすれば、それは、資本主義が社会発展に貢献することができるのは、国際法の規則と倫理にしたがうという状況のもとでだということを伝えることである」と。

3.ミッテランの失敗とヨーロッパ合衆国への道
  私の若い頃、フランスという国には思い入れがあった。アメリカがベトナム戦争をやっている時に、フランスでは五月革命があったし、その後も、アメリカでレーガンが大統領になって新自由主義を始めた時、フランスではミッテランが大統領になって、地方分権や自主管理や社会的経済セクターをもって資本主義のオルタナティブを創りだすかと思われた。
  しかし、時代の流れに逆行したミッテランの国有化政策は失敗し、現在フランスでは失業率は10%を超え、若者の4人に1人は失業している反面、労働組合の組織率は10%を割り、世界でも最高水準の社会保障のおかげで老人が優雅な退職生活を送る反面、社会保障制度の赤字は増し、福祉切り下げの提案に対して、労働者は大規模なデモやストを頻発させている。アルベール氏が言うように、資本主義が第三段階に入ることによって「自らが危険な存在になったこと」は否定できないが、その中でフランスは、1986年以降、公共企業の大幅な民営化計画を打ち出し、EC統合=「ヨーロッパの公的権威に保護された市場社会経済、つまり一種の連邦組織を作ることではなく、単に統一された市場を作ること」をすすめてきた。
  おそらく、EU(ヨーロッパ連合)への道、統一通貨と統一された市場を作ることは、資本主義の第三段階におけるヨーロッパ諸国の道なのであろう。最後にアルベール氏は言う。「一つの資本主義の形態から別の資本主義へと移って行くとき、必ず、想像を越える深い変化が伴ってくるものだ」「ネオアメリカ型は、現在のために、断固として将来を犠牲にする」「選択の道は二つある。その一つは---彼らの運命が、基本的に何にかかっているかを理解することができず---決意をしない道だ。もう一つの道は、欧州合衆国を建設していく道だ。アメリカ合衆国より優れたヨーロッパ合衆国を創ろう」と。今だに決意できづにいる日本のことを思いつつ、やはりフランスでも政治家よりは経済人の方が時代が見えているという気がした。

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コメント

人間に開かれた、社会構造の選択肢が狭くなってきたような感じがします。


投稿: 850S | 2006年2月 6日 (月) 10時29分

850sさん、コメントありがとうございます。
私は若い頃からヨーロッパにあこがれていました。しかし、まだ行ったことがありません。
850sさんのヨーロッパ話を期待しています。

投稿: ダルマ舎平山昇 | 2006年2月 8日 (水) 01時09分

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投稿: Johnb197 | 2019年5月14日 (火) 20時52分

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投稿: Pharme715 | 2019年5月15日 (水) 13時30分

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