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2006年2月25日 (土)

19世紀後半のアメリカとエドワード・ベラミー

 年の初めの大内秀明先生のブログに、「神田の古本屋街を歩くのは楽しい」「明治37年(1904)刊、ヰリアム、モリス原著、堺枯川抄訳『理想郷』」を手に入れたとあったので、2月5日に、そのブログにコメントして以下のように書いた。
 「暴力革命的発想は、議会主義の遅れた後進国で起こりやすく、ロシアなどその典型でした。日本のマルクス主義も、堺利彦らの先駆者を得ながらも、その後のロシア革命=ヴォルシェヴィキ革命の成功によって、共産党的路線が、革命運動の主流になってしまいましたが、その中にあて、山川均らの非暴力路線が提起され、それが戦後の社会党にまで継承されたことは、もっと評価されてしかるべきだと思っています。私は明治学院大学にいて、その後、生協運動に携わってきましたから、日本のロバート・オウエンともいうべき賀川豊彦を尊敬しています。その賀川も、戦後社会党の創設者のひとりです」と。

ww  2月7日は一ツ橋で取材仕事があって、少し時間があったので私も神田の古本屋街をブラブラして、現在品切れ中の岩波文庫『ホイットマン自選日記(上)(下)』を見つけて買ってきた。19世紀のイギリスの次は、19世紀のアメリカを読んでみようと思ったわけである。

 そしたら2月8日に、私のコメントに対して、大内秀明から以下のコメントがあった。
 「イギリス的社会主義の見直し、大賛成です。ブレアはともかく、新保守主義の市場原理主義に対抗する形で、スコットランド等地域から始まったコミュニティ・ビジネス(イギリス型NPO・社会的企業)について、R、オーエンからW,モリスなどへの共同体型のユートピア社会主義の流れの跡付け必要ですね。それも米英仏の3角関係を視野に入れて、たとえば米のべラミーのユートピア、仏のプルードンなどの社会主義との関連ですね」と。
 ベラミーについては初耳であったのだが、15日にコミュニティ・ビジネスの本づくりの打合せで大内先生と会い、打合せ後の酒飲みの場で、大内先生が再度ベラミーについて言われるので、翌日、図書館にベラミーの本をリクエストしたのだった。

 そんなで、エドワード・ベラミー『かえりみれば』という本を手にすることになり、今はホイットマンを読んでいる最中なので、まだベラミーは読んではいないのだが、その解説だけを先読みしたら、以下のような本であることが書いてあった。
 1888年にアメリカで出版されたユートピア小説で、大ベストセラーになり、当時「ベラミー・クラブ」が全米につくられて、大衆運動にもなったという。そして、アメリカに渡った賀川豊彦は、ベラミーの娘を訪ねて、ベラミーの影響を受けたと語ったという。

 19世紀後半のアメリカは「金ぴか時代」と言われている。南北戦争が終わると、北部の工業化がいっきょにすすんで、多数の成金が生まれ、併せて西部開拓もすすんだ。子供の頃に見た西部劇の時代であるが、今思えば、量産され部品互換性のあるコルト45という拳銃は、まさにアメリカの工業化の産物だったのである。

 手持ちの本(鈴木直次著『アメリカ産業社会の盛衰』岩波新書1995)から当時のアメリカを拾ってみると、「19世紀初頭から北東部ニュー・イングランドの綿工業を中心に始まった本格的な工業化の波は、その後、南北戦争と全国的な鉄道網の建設に刺激されて中西部へと広がった。世紀後半は電気、化学、内燃機関など新たな技術革新が続々と生まれた“第二次産業革命”の時代といわれるが、アメリカはその多くの分野でヨーロッパの発明をいち早く産業化し、ドイツと並んで、時代の先頭を走った。鉄道や鉄鋼、石油などの新産業では株式会社が広がり、トラスト運動と呼ばれる大規模な企業合併を通じて世界第一級の規模をもつ巨大企業が誕生した。早くも1880年代前半にアメリカは“世界の工場”イギリスを抜いてナンバーワンの工業国へと躍進し、90年代にはいると当時の花形産業だった鉄鋼生産でもイギリスを上回ったと推定された。19世紀後半から20世紀初頭にかけての経済成長のスピードはずば抜けて高く、一国の経済規模を表わす国内総生産(GDP)の総額でも、また国民の豊かさと生産性の高さを示すそのー人当りの金額でも、1900年には世界最高だった。工業力の躍進とともに、“メイド・イン・アメリカ”は世界へ浸透した。20世紀が始まった最初の年、1901年に、あるイギリス人ジャーナリストは“世界のアメリカ化”という一文を雑誌に発表して、いかにアメリカ製品がイギリスの家庭に入り込んでいるかを明らかにした」ということであった。

 要するに、後の日本や中国がアメリカに対して安価な消費財を輸出して自らの工業化を達成したように、アメリカもイギリスに対して同じことをやってきたのだった。19世紀後半のアメリカは、21世紀初頭の中国と同じ経済発展状況であるのだが、急激にすすむ工業化と経済発展は、いつの世でも必ずひずみを生じさせる。

 ベラミーの本を借りてくるついでに、図書館からオットー・L・ベットマン著『金ぴか時代の民衆生活・古き良き時代の悲惨な事情』(草風社1999)という本を借りてきて読んでみると、次々とヨーロッパから移住してくる移民たちは「スウェットショップ(労働搾取工場)」に押し込まれて、安価な消費財の生産に携わる。まるで、内陸の農村から出てきて上海の工場で働く、現在の中国の女工さんと同じであるが、19世紀後半のニューヨークでの労働環境は、ディケンズの描く19世紀前半のロンドンの下層市民のそれと同じかそれ以下である。
 また、1877年に経済危機、1893年から1898年にかけては不況で、全労働者の5人に1人に当る400万人が失業者し、1890年には、人口の1%の人々が得た利益は、残りの99%の人の総収入と同じであったという。そして、1881年から1900年の間に、600万人以上の人をまきこんで、2378回のストライキがあったという。

 先読みして言えば、これらがベラミーの時代の背景であったのだろうと思われるが、ついでにアメリカの労働運動をアバウトに見て、さらに先読みすれば、以下のとおりである。

 自由主義、市場経済、自己責任の国のアメリカでの労働運動は、困難な運動であったろうが、19世紀の後半には全国的に労働騎士団が結成された。労働騎士団は「企業と賃金労働者というシステムにとって代わり、協同組合的な産業システムを導入することを主張した。・・・彼らは、生産者、消費者及び流通業者の協同組合の創設、児童労働の禁止、性及び人種に関係ない同一労働同一賃金、普通選挙権及び1日8時間労働を主張した。また彼らは富が一部の人々に集中することに反対した」(化学物質問題市民研究会のHPから)ということであったが、やがてより労使協調的なアメリカ労働総同盟(AFL)に取って代わられた。1905年には、AFLの路線に反対する組合が、世界産業労働組合(IWW)を組織した。この組合の戦略はサンジカリズムで、協同主義的共和国を夢見ていたということであるが、そこにはフランスのプルードンの影響があったという。

 IWWは無政府主義として弾圧を受け、第一次世界大戦後にはほぼなくなってしまうのだが、1905年にアメリカに逃れた幸徳秋水はサンジカリズムの洗礼を受け、1914年にアメリカのプリンストン大学に留学した賀川豊彦は、帰途、ニューヨークで労働者のデモ隊に出会って労働運動に目覚めた。賀川豊彦は学生時代から『平民新聞』の読者であったというから、堺利彦訳のモリスの『理想郷』も読んでいたかもしれない。これらは、ロシア経由で入ってきた社会主義とは異なるルートであり、その背景には「イギリス~フランス~アメリカ」と円環する19世紀のグローバリズムがあるように思う。そして20世紀に入ると、その円環は日本にまで及ぶのである。

 『ホイットマン自選日記』の上巻は、南北戦争で傷病兵の看護にあたったホイットマンの記録が大半である。晩年、田舎に身を寄せたホイットマンは、自然の中で内省的な生活を送り、この日記にある散文を書き残した。私も春からは仕事時間を増やして、空いた時間はアメリカ文学でも読むかなという読書計画であったのだが、大内先生からベラミーの示唆を受けて、またぞろ私流文芸評論に入れ込んでいきそうな気がしてきた。はたして、どうなることやらである。

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2006年2月14日 (火)

SOHOスタイル

 この間のブログが書評風雑文ばかりなのを見てもわかるとおり、1月は仕事が少なくて本ばかり読んでいた。SOHO仕事は、仕事をとって、仕事を仕上げて、それを納めて、請求書を送ってと、仕込から入金までに半年くらいかかる。昨年秋の仕込みが悪くて、年が明けてから暇になってしまったのだったが、2月に入って「これではいかん」ということで、営業に出たり、パート仕事を探したりしている。

 今日は、昔の職場に営業に行った。かつての部下に頭を下げたり、お愛想言ったり、対応は悪くはないのだが、すぐに仕事があるわけではなく、次回に見積書を出させていただくことにして帰ってきた。 今月はこんな営業を3~4件やり、これから見積もりつくりをするわけだが、仕事になったとしても、金になるのはさらに先で、足りない分はとりあえずパート仕事でもすることにした。
 これが会社をやっていて、事務所を借りたり人を雇ったり仕入れがあったりすると、資金繰りということで金を借りたりする訳だが、返せなくなると倒産したりもする。その点、SOHOスタイルの個人事業で仕入れがなければ、次の入金までをパート仕事でしのげば、借金することもなく倒産することもない。

jiko  昨日は定期で請けているDTP仕事の取材で鹿島に行った。 鹿島は、芭蕉が1687年に仏頂和尚を訪ねて行った所で、その小旅行は『鹿島詣』にまとめられているが、その行程の半分は水路で あったという。 現在ではクルマで行って、東関東自動車道を抜ければすぐである。早く着いて時間が少しあったので、鹿島神宮と鹿島スタジアムに行ってみた。鹿島スタジアムには、ジーコの像とアルシンドの足型があった。

 夜は上野でかつての争議屋たちの集まり=グローバル研究会があったのだったが、遅くなったので、2次会にだけ参加した。鹿島からの帰り道、同行した人に京成成田駅まで送ってもらって、そこから特急に乗ったら、8時前には上野に着けたのだった。SOHOスタイルで仕事しながら、あとは好きなことをやる。多少貧乏くさいが、芭蕉の生活もそんなものだったのではないかと、勝手に思っている。

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2006年2月11日 (土)

大陸哲学とイギリス

 ep イギリス人のサイモン・クリッチリーという人が書いた『ヨーロッパ大陸の哲学』(岩波書店2004.6)という本を読んだ。書名からすると、イギリス人がヨーロッパ大陸の哲学を対象化した本だと思われて、いよいよイギリスとヨーロッパの違いが本質的なところで理解できるのではないかと期待して読んだ。

 教科書的な知識でいえば、17世紀以来、フランス合理主義とドイツ観念論と演繹法に対して、イギリスは経験主義と帰納法であり、20世紀以降は、大陸の現象学に対して、英語圏では分析哲学というふうに、哲学の目的も方法もかみ合わないままである。同じヨーロッパにありながら、ドーバー海峡ひとつ隔てただけで、こうも違うものなのかと今さらながらに思うところである。

 本書の内容についてのアバウトな理解で言えば、こうである。大陸の哲学はカントに代表されるように、自由と解放を求めて理性批判をする啓蒙哲学である訳だが、あらゆるものを批判する理性のメタ批判は、結局は理性をも批判して、ニチーェの言う如く、結果的にニヒリズムに陥るということである。そこで20世紀に入って、そのヨーロッパ諸科学の危機の打開のためにフッサールによって現象学が提起され、それを引き継いで、ハイデッガーが登場して、あらゆる存在を存在させる科学的探究に還元できない領域、無について語ることになる。

 一方、イギリスではヴィトゲンシュタインが初期の『論考』において、論理学に還元可能な言語哲学を提起したのに触発されて、経験科学と科学的世界把握に基づかないハイデッガー流の形而上学を批判する分析哲学が起こる。それは、「あらゆる哲学は<言語批判>である」と言うように、哲学的問題の解決を、意識の反省に訴えることによってではなく、言語とその用法の分析を通じてはたそうとするものだという。

 英語圏の国、とりわけアメリカでは大陸哲学はほとんど評価されないそうである。真理よりも有効性のプラグマチズムの国である所以だが、イギリス人である著者の意図するところは、大陸哲学と分析哲学の考え方の違いを説明しつつも、どちらが正しいという訳ではない。イギリス国内においても、大陸的な解釈主義・ロマン主義的な考え方と、経験科学的・功利主義的な対立というものが、18世紀以来あって、前者をコーリッジが、後者をベンサムが代表しているのだと言う。しかも、後期のヴィトゲンシュタインは、ハイデッガーの言わんとすることを理解していたというのである。

se  さて、こうなるとイギリス・アメリカとヨーロッパ諸国が、その哲学・考え方において異なるというよりは、イギリスとアメリカが必ずしも同じ哲学でないことが解る。そこで、ついでに読もうと、図書館から森田浩之著の『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社1999.11)という本を借りてきて読んだ。著者はイギリスに留学して分析哲学を勉強した人であるようだから、哲学的には分析哲学のことを書いているのだが、ひとつ興味深いことは、その分析哲学がケインズの経済学に影響を与えているという指摘であった。

 イギリスの経済学と言えば、まずアダム・スミスの古典派経済学であり、最近ではその原理主義を実践したサッチャーの「小さな政府」が思い浮かぶが、もうひとつはやはりケインズ経済学である。イギリスが凄いのは、この両者を生み出す国であること。市場原理主義の新古典派のフリードマンは「政府の失敗」と「ルールに基づく支配」を言うが、ケインズは「市場の失敗」と「ハーヴェイロードの仮定」と言われる「少数の知的エリートによる支配」を言う。そして著者は、このケインズの考え方は、ロック以来のイギリス経験論とムーアやラッセルの分析哲学との結節点にあると言う。

 私は、分析哲学について不案内であるから、これ以上のことは解らないが、著者が最後に、イギリスも日本も「自然主義」的である、人間は自然の一部にすぎないことを認めているがゆえに、現実適応的であり、現実妥協的であると書いていることについては、なんとなく納得がいったのであった。

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2006年2月 4日 (土)

『資本主義対資本主義』

 10年ほど前にミッシェル・アルベール『資本主義対資本主義』ctoc (1992.5.25 竹内書店新社)という本を読んだ。ベルリンの壁が壊されて、「社会主義対資本主義」という構図が破綻した後に露になったのは、「ヨーロッパ(ライン)型資本主義対アングロサクソン型資本主義」という構図であるという内容に、なるほどと思わせるものがあった。以下の文章は、当時ミニコミ誌の書評に書いた一文であるが、「イギリス━アメリカ━フランス」の三角関係の整理のつもりで、再録しておきたい。

1.資本主義の全面的な勝利
  「資本主義は、史上初めて、いま本当の勝利をおさめている。それも全面的勝利である」という書き出しで始まる本書の『資本主義対資本主義』というタイトルは、「資本主義対社会主義」という概念が、もう既に過去のものとなったことを象徴して衝撃的であった。
  かつて80年代の初頭に、イギリスとアメリカにおいてサッチャーリズムとレーガノミックスの嵐が吹き荒れ、アメリカとソ連の軍拡競争が高まるさ中に、フランスにおいてミッテランが大統領に当選し、フランス社会党が政権を取った時、ヨーロッパにおけるユーロソシアリズムの拡大と合わせて、これからの時代は混合経済と社会民主主義の時代になることが期待された。しかし、それから10年たった現実では、ソ連東欧の社会主義が崩壊したことのみならず、ヨーロッパの混合経済・社会民主主義・福祉国家型の資本主義も、経済の自由化、市場化、ボーダレス化の流れにのる新自由主義型の資本主義の波に飲み込まれようとしている。
  アルベール氏は福祉国家型の資本主義を「ライン型資本主義」、新自由主義型の資本主義を「アングロサクソン型資本主義」と呼び、両者のメリットとデメリット、対抗関係を論じながら「アングロサクソン型=ネオアメリカ型資本主義」が優位になっていく趨勢を論じ、「資本主義が、自分の力に匹敵する敵を失ったことは明らかである。そして、自らが危険な存在となったことも、もう否定できない」と結論する。そして、この結論は、本書と同じく1991年にやはりフランス人のアラン・コッタが著した『狼狽する資本主義』における「資本主義のこの勝利はあまりにも全面的であるので、ほとんど厚かましいほどである。---かくも完全な勝利は、将来にそのつけを回すおそれがある」という結論とも同じである。

2.資本主義の三つの段階
  アルベール氏は資本主義を大きく三段階に時代区分する。18世紀末に始まる「資本主義の最初の段階」とは、市民革命後に「専制国家の従来の支配に対抗するために商業と産業の自由をうち建てた」「国家に対抗する資本主義の時代」であり、19世紀末に始まる「資本主義の第二の時代」とは、「初期の資本主義の厳しさに人間味を加えようと努力した」「国家の枠組みの中での資本主義の時代」であり、20世紀末に始まる「資本主義の第三の段階」とは、「あらゆる場所での国家の力を避け、市場が自由に動き、社会が創造的エネルギーを発揮できるようにする」「国家の代わりとしての資本主義の時代」であると言う。そして、「今われわれは、『資本主義の第三段階』に入ったところである。国家の代わりとしての資本主義の時代である。それに気づくのに、10年かかった。実際にすべてが始まったのは1980年、サッチャーとレーガンが、ほとんど同時に選挙に出た時であった」と言う。
  かつて、私たちにとって資本主義の三段階論といえば「原理論・経済政策・現状分析」の三段階論であったが、現状分析の時代を1980年以降とすれば、本書における時代区分も大方これに対応している。ならば、なぜネオアメリカ型の資本主義が優位になっていくのか、資本主義の第三段階とはどんな時代なのかを現状分析してみれば、前述のアラン・コッタの『狼狽する資本主義』においても同様であったが、それは情報化と金融化と国際化の進展に特徴づけられている。アルベール氏は言う。「金融界の論理は二つある。一つは、国家や国境は無視して広がっていくもの。つまり国際化の論理だ。金融には、国内市場は狭すぎてもう間に合わない」「金融のグローバリゼーションは、超リベラル資本主義を普及させる」「先進国の経済が世界的規模で動くようになって、国家はゲームから締め出されてしまった。政府の方針が何なのかは無関係なのだ。国家に社会的政策を期待しても、ほとんど見込みはない」「本書に目的があるとすれば、それは、資本主義が社会発展に貢献することができるのは、国際法の規則と倫理にしたがうという状況のもとでだということを伝えることである」と。

3.ミッテランの失敗とヨーロッパ合衆国への道
  私の若い頃、フランスという国には思い入れがあった。アメリカがベトナム戦争をやっている時に、フランスでは五月革命があったし、その後も、アメリカでレーガンが大統領になって新自由主義を始めた時、フランスではミッテランが大統領になって、地方分権や自主管理や社会的経済セクターをもって資本主義のオルタナティブを創りだすかと思われた。
  しかし、時代の流れに逆行したミッテランの国有化政策は失敗し、現在フランスでは失業率は10%を超え、若者の4人に1人は失業している反面、労働組合の組織率は10%を割り、世界でも最高水準の社会保障のおかげで老人が優雅な退職生活を送る反面、社会保障制度の赤字は増し、福祉切り下げの提案に対して、労働者は大規模なデモやストを頻発させている。アルベール氏が言うように、資本主義が第三段階に入ることによって「自らが危険な存在になったこと」は否定できないが、その中でフランスは、1986年以降、公共企業の大幅な民営化計画を打ち出し、EC統合=「ヨーロッパの公的権威に保護された市場社会経済、つまり一種の連邦組織を作ることではなく、単に統一された市場を作ること」をすすめてきた。
  おそらく、EU(ヨーロッパ連合)への道、統一通貨と統一された市場を作ることは、資本主義の第三段階におけるヨーロッパ諸国の道なのであろう。最後にアルベール氏は言う。「一つの資本主義の形態から別の資本主義へと移って行くとき、必ず、想像を越える深い変化が伴ってくるものだ」「ネオアメリカ型は、現在のために、断固として将来を犠牲にする」「選択の道は二つある。その一つは---彼らの運命が、基本的に何にかかっているかを理解することができず---決意をしない道だ。もう一つの道は、欧州合衆国を建設していく道だ。アメリカ合衆国より優れたヨーロッパ合衆国を創ろう」と。今だに決意できづにいる日本のことを思いつつ、やはりフランスでも政治家よりは経済人の方が時代が見えているという気がした。

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2006年2月 3日 (金)

『クリスマス・キャロル』

cc  クリスマス・キャロル』を読んだ。けちな老人がクリスマスイブに昔の同僚の幽霊と出会って、優しい老人に生まれ変わるという他愛ないと言えば他愛ない物語なのだが、心温まる物語が少しも臭くないのは、ディケンズ一流のレアリズムで、当時のロンドンの下層市民の生活と生業が実によく描かれているからであろうか。

 『クリスマス・キャロル』が出版されたのは1843年で、これは生協に長くいた私にとっては、ロッチデールに世界最初の協同組合が発足した年の前年であり、不況と失業の中で先駆者たちが「共同社会(コミュニティ)」を創ろうとしていた正に真っ最中の時である。産業革命と初期資本主義の時代、恐慌や不況がくり返され、階層分化と階級対立も先鋭化した時代でもあったろうに、そこにロバート・オウエンのような発想や、ロッチデールにおける協同組合づくり、ディケンズのような小説家が出てくることに、階級対立の中で革命に向かうのとは違うベクトルの出てくるイギリス社会の奥深さがある。

 これをヨーロッパ大陸と比べると、気風がオープンであるということにでもなるのであろうか。1776年に『国富論』を出版したアダム・スミスは、その中でアメリカについて、以下のように書いている。

 「アメリカと西インド諸島におけるヨーロッパ各地の植民地は、良好な土地と、本国の干渉が少なく自分のことは自分で好きにできる自由とに恵まれて、順調に成長したが、とくに北アメリカのイギリス領植民地の進歩は、最も急速である。その理由は、土地制度、軽い税負担、本国の貿易独占があまりぎびしくないなどの事情である。・・・外国貿易を除けば、植民地はきわめて自由であり、政治的にも平等だった。
 ヨーロッパ各国政府が、この植民地の建設と繁栄に真に貢献した点はいくらもなく、むしろ、一度植民地がつくりあげられて、繁栄に向かいだすと、本国はその貿易を励占して、植民地の成長を妨げることばかりやったといえる」。
 「アメリカ植民地は、財政上もグレート・ブリテン本国の大きな負担になっているが、現在の統治組織と議会制度では、植民地に課税することは不可能である、課税するためには、議会制度をあらためて、課税収入に比例した代議員制をとり、植民地にも議席を与えればよい。だが、この方策がはたして良策かといえば、富、人口および土地利用の改良において、アメリカはこれまで長足の進歩をとげてきたので、おそらく、あと一世紀もたつうちには、アメリカの課税収入は、イングランドのそれをしのぐかもしれない。そぅなれば、わが帝国の中枢は、全帝国の国防と維持にいちばん多く貢献する地方、つまり、アメリカに、自然と移ってしまうことになろう」(第4編第7章植民地について)。

 正にアメリカの独立戦争が始まった中での慧眼であるが、アダム・スミスの経済学、規制緩和と市場経済と人間利己主義説が花開いたのは、本国のイギリスではなく、新大陸のアメリカであった。

 『アメリカの民主主義』を書いたフランス人のトクヴィルは、イングランド人がつくったアメリカの開放性と、北アメリカにおけるフランス人入植地の閉鎖性との違いを書いている。しかし、『クリスマス・キャロル』を出版する前年にアメリカを旅したディケンズは、前に『アメリカ紀行』の感想に書いたように、「商売とドル」にしか関心がないアメリカに違和感をもって帰国し、『クリスマス・キャロル』には「商売とポンド」を超える価値を書いているし、当時のイギリスには市場経済とは別の世界を模索する人たちが多くいたのであった。

 果たして、アングロサクソンは一体なのか、フランスや他のヨーロッパの国々とどう違うのか、さらに日本はどうなのか、アジア的とは一体何か、この先はそんなことを考えてみたい

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