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2006年1月23日 (月)

『デイヴィッド・コパフィールド』と19世紀イギリス社会

  dc暖冬など気持ち悪いから、冬は寒くていいのだが、今年の冬はとりわけ寒い。フリーの身、寒いと仕事も暇で、1月は生活費の残高を心配しながらもぬくぬくと読書にいそしみ、ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』もどんどん読めた。代表作と言われるだけあって、その出来は『オリバー・ツイスト』よりも数段格上である。

 『デイヴィッド・コパフィールド』はディケンズの自伝的小説だということであるが、日本の私小説とはまるで違う。回想録のような書き出しになっているが、ストーリーには相変わらずご都合主義的なところがあり、例のごとく多様な登場人物には善人と悪人がはっきりしていて、まるで水戸黄門のような場面もあって、勧善懲悪的に結末もつく。

 この小説が書かれたのは1849~50年ということであり、ちょうどマルクスが『共産党宣言』を書き、ロンドンに亡命した頃である。私などもそうであるが、ディケンズを読まずに『共産党宣言』を読んだ人は、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』的に当時のイギリス社会を理解して、階級闘争にその活路を見出そうとした訳であるが、ディケンズの小説には、唯物史観では見えないディテイルが描かれている。

 1948年にドイツやフランスで出版された『共産党宣言』がイギリスで出版されたのは、なんと40年後の1888年であったということである。ロンドンに亡命したマルクスは、イギリスの資本主義社会を分析して、その原理論となる『資本論』を書いたが、大英帝国の時代へと突き進む19世紀のイギリス資本主義社会は、大英図書館でその社会を分析する貧しい亡命ドイツ人をも飲み込んで、急速にダイナミックに展開したのである。

 もともとイギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドにわたる連合国家だが、イギリス人のつくったアメリカも建国の当初より連邦国家であり、さらに多民族化したアメリカ資本主義の20世紀における展開を思えば、このあたりのダイナミズムが、民族主義的国民国家のヨーロッパ大陸とは違ったアングロサクソン資本主義の源泉なのかもしれない。イギリス人にとってはマルクス主義も、ドイツ観念論的な当為であるというよりは、ヨーロッパ思想の one of them だったのであろう。

 私にとって登場人物の中で魅力的なのは、ベッチー伯母、ミスター・ペゴティー、トラドルズなどである。ベッチー伯母は、巻頭の登場からして余韻を残す。養父にいじめられて逃げ出したデイヴィッドがベッチー伯母の家にたどり着く場面、デイヴィッドを養育しながらも自らは破産したベッチー伯母が、デイヴィッドの下宿にやってくる場面、実直な漁夫のミスター・ペゴティー、いじめられっこの学友で脇役ながらいい役をするトラドルズ、これらの描き方を見れば、ディケンズが例え貧しくとも善意をもって努力する人々の味方であることはよく分かる。貴族などほとんど登場しない。登場人物は、エキストラであろうと、貧しかろうとみな生業を持って生きている。
 
 会話が多いが写実は確かで、19世紀のイギリス社会がよく描かれている。フローベールやモーパッサンなどの19世紀フランス小説を読んでもそう思うが、これは世界史の教科書などでは学べないことである。ただ、フローベールやモーパッサンとディケンズはどこか違う。資本主義はイギリスの方が先進的だが、写実主義でいえば、フランス文学の方がより自然だし、優れている。近代社会の成り立ちのちがいだろうか。次のディケンズは、『二都物語』を読んでみることにする。

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