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2005年9月 6日 (火)

利己主義と利他主義

tok  2005年はトクヴィル誕生200年の年であり、グローバリズムやイラク戦争などのこの間のアメリカの動向と併せて、トクヴィルの『アメリカの民主主義』の再評価も盛んである。『アメリカの民主主義』は3分冊の大著であり、トクヴィルがコミュニティをベースにしたアメリカ社会を評価したのは上巻であるが、中巻では、人民主権と大衆化は「世論」による「多数者の専制」を招くことを指摘し、下巻では、アメリカ人の個人主義についてふれている。

 「多数者の専制」とは、「民主主義の政治につきまとっている自然的な諸弊害・・・これらの弊害はすべて多数者の権力と同時に増加する」(『アメリカの民主主義・中』p167)ことであり、大雑把に言えば、人民主権を徹底すれば、それは人民に名を借りた専制政治に転化するということである。
 ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任した1789年に起こったフランス革命は、アメリカ革命のリアクションであったが、人民主権と一般意志の徹底は、ジャコバン主義による専制と流血に至った。イギリスにおける社会改革が階級闘争主義を採らなかったのは、フランス革命を他山の石としたからであるが、トクヴィルの『アメリカの民主主義』もまさに同様な問題意識をもって書かれている。

 さて、トクヴィルは『アメリカの民主主義』下巻に、アメリカ人の個人主義とボランタリーな精神についてこう書く。

 「アメリカ人のある一人が、その同類者たちの協力を要望するとき、これらの同類者たちが後にこの協力を拒むことは極めてまれである。そしてこれらの同類者たちが、自発的に非常に熱心に後に協力するのを、わたくしはしばしば見てよく知っている。公道上で何らかの不慮のできごとが突発すると、その被害者の周囲にあらゆる方面から人々がかけつけてくるのである。何らかの不意の大不幸がある家族を襲うことがあると、無数の未知の人々からの寄附金がたやすく集まるのである。そしてわずかではあるが極めて多数の贈り物が、その家族の困窮を救うために送られてくるのである。・・・アメリカ人たちはその態度において、常に冷淡でありそしてしばしば粗野である。けれども彼等は無関心だということは殆どない。そして彼等は急いで奉仕を提供することはないとしても、これを与えることを決して拒絶しない。これらすべてのことは、わたくしが個人主義についてすでにのべたことに矛盾しない。これらのものは矛盾対立するどころか、一致していることをわたくしは知っている。地位の平等は、人々に自らの独立を感じさせると同時に、人々に自らの弱さを明らかにする。人々は自由であるが、無数の事故にさらされている。そして彼等は経験によって、次のことを学んでいる。すなわち、彼等は他人の援助を日常的には必要としていないが、いつか他人の援助なしにはすましえないときが、殆ど必ずくることを」「大なる恩顧が与えられない民主国では、絶えず奉仕や援助が与えられる。そこでは、人々は献身的であることはまれであるが、すべての人々は奉仕的である」(『アメリカの民主主義・下』p315-317)。

 アダム・スミスは、人間の利他主義についても評価をしたが、どちらかと言えば、利己主義と経済活動の自由放任を是とした。アダム・スミスの『国富論』は、アメリカの独立宣言と同じ1776年に刊行されたが、アメリカはまさに市場経済と個人主義が開花した国となったのであった。
 私たちは「公共」というと、国家や行政の領域だと思いがちだが、国家や行政が後からつくられたアメリカでは、経済活動の自由放任と個人主義と共に、公共や奉仕や援助が発生したのであった。アメリカにおける非営利活動やNPOの背景には、そういった経過と市場経済への適合性があるように思う。

 市場経済が嫌いな人は、利己主義=金儲けを否定して、公共の領域と利他主義を広めようとする。私も利他主義の大切さはよく分かっているつもりだが、「利他主義の精神と公共の領域を広げることが社会をよくすることだ」とばかり言われると、トクヴィルの予言が実現してしまうというのが、「社会主義の失敗」に学ぶ歴史の教訓であったように思う。また、現在アメリカがイラクをはじめ、世界中で押しすすめている「自由と民主主義」の押し付けも、同様な結果となるだろうと思われる。
 利己主義か、利他主義か、と問われれば、利他主義とは利己主義的に真面目に働くことの結果として生じるものなのだろうというのが、現在の私の結論である。怠け者ほど利他主義を当てにする。これは私の人生の教訓である。だから私は、市場経済の中でほどほどに働いて、そこそこ自由に生きようと思っている。

 コミュニティづくりの先進国である自由の国アメリカで、なぜロバート・オーエンは「ニューハーモニー」のコミュニティづくりに失敗してしまったのか。6月から始めたこのブログは、そんなモチーフで書き始めたのだったが、7月からの仕事探しで中断し、8月は寝転がって読書していたら、9月に入ると、だいたい以上のような結論になったのであった。

※トクヴィルの画像は、朝日新聞2005.7.5夕刊より

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