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2005年9月26日 (月)

海辺の錆落とし

海辺の錆落とし

錆びついた輝き砂に落とし

落ちない錆は指にからめて

あの頃と今のめぐり合い

錆びつくのもいいものだ

夏の終わりの風に吹かれて

※「過ぎ去った海の思い出」への梶山さんのコメントを読んだら、久しぶりに詩がひとつ書けました。梶山さんに感謝、感謝。

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2005年9月22日 (木)

過ぎ去った海の思い出

   私が愛読しているブログに ottocent50s さんのブログがある。最近の「夏の過ぎ去った海」を読んで、以下のコメントを書いた。

 海といえば、下町の貧乏人は両国駅から内房線に乗って内房に行ったものですが、佐島に思い出があります。70年代の初めに結婚をして、当時、大学を中退して貧乏暮らしをしていたもので、新婚旅行は伊豆辺りとなったのですが、私に金持ちの友人がいて、ヨットを買って、私の新婚旅行に合わせて、ホームポートの佐島マリーナで進水式をあげてくれました。だから新婚旅行の最終日は佐島マリーナで一泊して、かみさんが新艇にシャンパンをかけて、正真正銘の meiden voyage をやったのでした。

 そんな折、昨日、1級小型船舶の海技免許の更新に行ってきた。会社勤めを辞めた後の5年前の更新の後、1度も船に乗ることもなくまた次の更新となった訳だが、過ぎ去った海の思い出にと更新したのだった。そんなで、ついでに ottocent50s さんにならって、私も「過ぎ去った海の思い出」を少しだけかいておくことにする。

 私の友人が購入したのは、ヤマハ15という当時売り出されたばかりのディンギーで、その後、私は彼のクルーとなって、佐島マリーナに通ってヨット遊びをした。夏が始まる前の、梅雨の合間の晴れた日の逗子以南の海岸は、海好きたちだけのリゾートといったふうであった。佐島マリーナは、海が大好きな森重久弥がつくったマリーナだが、その頃、日産が資本参加して改築されたばかりで、シーボニアや逗子マリーナと並ぶ本格的なマリーナであった。

 ある時、私がティラー(舵)を引いている時にブロー(突風)を受けて沈(艇が倒れること)をした。初めての経験で、訳も分からず艇にしがみついていると、シングルハンド(1人乗り)のディンギーがスーっと近づいてきて、「センターボードに乗って艇を起せ」「足で水を蹴って、スターン(艇の後部)から上がれ」と指示をしてくれて、やっとヨットに這い上がることができた。そして、やっと再帆走し始めると、またスーっと寄ってきて、ボコンといってパドル(櫂)を投げ込むとさっと去って行った。流れ出した私たちの艇のパドルを拾い上げて、投げ込んでくれた訳であるが、あまりの手際に、ひたすら感心するばかりであった。

 そんなy1c ことがあって後に、私は自分のヨットが欲しくなった。そこで2人の友人を誘って中古のディンギーを買うことにした。「舵」というヨット雑誌の「売ります欄」で探して、Y15というディンギーを買うことにした。売主は逗子マリーナに住む女性で、旦那がしばらく海外に行ったまま帰らないので売りたいとのことだったが、まだ新しい艇であった。亀戸で材木屋をやっている友人のロングボディのトラックで逗子マリーナに行って、Y15を載せると、久里浜からフェリーに乗って房総に渡り、私たちのホームポートとなる勝山マリーナに運んだのであった。

 勝山マリーナは勝山港と海水浴場の間の岩場にある小さなマリーナであったが、私たちが遊ぶにはちょうどよく、それ以降、週末になると友人のクルマで勝山に通って、ヨット遊びをしたのだった。

 勝山でヨット遊びをしていたある日、台風が近づく風の強い日であったが、材木屋の友人が帆走に出て、安定性のいいさすがのY15も強風のために浜の沖合いで沈をして、どんどん流されていってしまったことがあった。かみさんが海岸で心配そうにそれを見ていると、「どうしましたか」と声をかけてくれる2人の若い男がいて、かみさんが状況を話すと、「ボートを借りて助けに行こう」ということになって、マリーナからモーターボートを借りて、流れるヨットを追いかけて、おかげで、人もヨットも無事助けることが出来たのだった。

 2人の若い男は、その日、BW21という小型のクルーザーで勝山港に寄港していて、偶然助けてくれたのだったが、その晩、ウィスキーを買って、港に泊められた小型クルーザーを訪ねて、お礼をした。それから、小林さんと山本さんというその2人とのつきあいが始まり、やがてみんなでもっと大きいクルーザーを共同所有しようということになり、1970年代末に、みんなでSK31という31フィートのクルーザーを購入した。このSK31というヨットは、渡辺修治という日本人が設計した名艇であっy2cたが、メy3cンバーが増えて手狭になり、次にエリクソン37というヨットに換え、その次はヤマハ34へと乗り換えた。(左の写真は、下田沖のエリクソン37 )

 ホームポートは、浦安マリーナであった。1970年代末の浦安は、ディズニーランドもなく、現在、大学やマンションの立ち並ぶ一帯は荒涼とした埋立地であって、その埋立地を流れる境川という川に、当初は不法繋留してしていたのであったが、不法繋留対策にと、第3セクター方式の浦安マリーナがつくられたのだった。

 みんなy6c下町中心に住んでいて、大して金持ちでもなかったが、時代は右肩上がりの経済の真只中であったから、中古ヨットの共同所有であれば、ヨット遊びをするのは、そんなに難しいことではなかった。私はゴルフ遊びには興味はなかったが、ゴールデンウィークや夏休みに、横浜、三浦、房総、伊豆諸島、下田辺りにクルージングするのは、メンバー全員の楽しみであった。

 そんな訳で、私も1級小型船舶の海技免許をとった訳であるが、6年前に会社勤めを辞めた時に、ヨット遊びも止めたのだった。だから、海技免許は私にとって唯一のバブル経済の置き土産であり、過ぎ去った海の思い出であるのだった。

 会社勤めを辞めて仕事探しをしている時に、「警戒艇船長募集、要1級小型船舶免許」の募集広告を見たことがあった。ダルマ船みたいな船で、運河や護岸工事の交通整理みたいなことをやる仕事で、勤務時間が長い上に時給が安いので遠慮したが、この先、いい仕事にめぐり合えなくて、この際などと思う時があったりすると、海技免許が役立ったりするかもしれない。

 ジャック・ケルアックは、"The Dharma Bums(達磨行者たち)"の後に、荒涼峰の山頂で森林監視員の仕事につき、"Desolation Angels(荒涼天使たち)"を書いた。ならば私は、ダルマ船で監視員をやりながら、「ダルマ船上のダルマオヤジ」でも書くかななどと、馬鹿なことを想ったりもするのだった。

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2005年9月15日 (木)

「小さな政府と自己責任」の時代

yakei   昨日までの暑さが失せて、秋の訪れが実感される1日であった。昨晩までは淀んでいた都会の空気も今日は澄みわたり、東京の夜景もきれいである。日曜日に母の1周忌の墓参りをして、家に帰ると衆院選の投票に行って、夜はテレビの開票を見ていたが、あまりの結果に寝てしまった。

 母の実際の命日は14日であったから、昨晩は Left Alone でも聴いて泣くかと、谷中のジャズバー「シャルマン」に行ったのだったが、「スピーカー修理のため休業します」とあったので、仕方なしに、なじみの根岸の居酒屋でひとりで飲んで帰ってきた。

 選挙の結果は、日本にも「小さな政府と自己責任」の時代が来ることを予測させるが、もともと私は会社勤めを辞めた時からそうなると思っていたから、予想の範囲内であると言えば、またそうなのだった。今週は、季節も変わって、気落ちすることもなく、またあれこれと生業の企画を始める週となったのだった。

 今週からフーゲツのJUNさんの紹介で、mixi というサイトに参加した。ヴァーチャル・コミュニティのようなサイトで、既にドクター・セブンさんや梶山こうじさんらも参加していて、すぐに仲間に入れてもらった。この間、私は現実における「ささやかなコミュニティ」の探求と、自分のホームページづくりをして、そこにも「ヴァーチャル・コミュニティ」を企画していたから、ちょうどよかったのだった。

 昨年の秋は、友人のジャズドラマー市原康君のライブイベントを企画して遊んだが、今年の秋はNPOで、現実の「ささやかなコミュニティ」と「ヴァーチャル・コミュニティ」を出会わせるようなイベントを企画できたらと考えている。職に苦労する人たちが、「小さな政府と自己責任」の時代をどう生きるのかである。

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2005年9月 6日 (火)

利己主義と利他主義

tok  2005年はトクヴィル誕生200年の年であり、グローバリズムやイラク戦争などのこの間のアメリカの動向と併せて、トクヴィルの『アメリカの民主主義』の再評価も盛んである。『アメリカの民主主義』は3分冊の大著であり、トクヴィルがコミュニティをベースにしたアメリカ社会を評価したのは上巻であるが、中巻では、人民主権と大衆化は「世論」による「多数者の専制」を招くことを指摘し、下巻では、アメリカ人の個人主義についてふれている。

 「多数者の専制」とは、「民主主義の政治につきまとっている自然的な諸弊害・・・これらの弊害はすべて多数者の権力と同時に増加する」(『アメリカの民主主義・中』p167)ことであり、大雑把に言えば、人民主権を徹底すれば、それは人民に名を借りた専制政治に転化するということである。
 ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任した1789年に起こったフランス革命は、アメリカ革命のリアクションであったが、人民主権と一般意志の徹底は、ジャコバン主義による専制と流血に至った。イギリスにおける社会改革が階級闘争主義を採らなかったのは、フランス革命を他山の石としたからであるが、トクヴィルの『アメリカの民主主義』もまさに同様な問題意識をもって書かれている。

 さて、トクヴィルは『アメリカの民主主義』下巻に、アメリカ人の個人主義とボランタリーな精神についてこう書く。

 「アメリカ人のある一人が、その同類者たちの協力を要望するとき、これらの同類者たちが後にこの協力を拒むことは極めてまれである。そしてこれらの同類者たちが、自発的に非常に熱心に後に協力するのを、わたくしはしばしば見てよく知っている。公道上で何らかの不慮のできごとが突発すると、その被害者の周囲にあらゆる方面から人々がかけつけてくるのである。何らかの不意の大不幸がある家族を襲うことがあると、無数の未知の人々からの寄附金がたやすく集まるのである。そしてわずかではあるが極めて多数の贈り物が、その家族の困窮を救うために送られてくるのである。・・・アメリカ人たちはその態度において、常に冷淡でありそしてしばしば粗野である。けれども彼等は無関心だということは殆どない。そして彼等は急いで奉仕を提供することはないとしても、これを与えることを決して拒絶しない。これらすべてのことは、わたくしが個人主義についてすでにのべたことに矛盾しない。これらのものは矛盾対立するどころか、一致していることをわたくしは知っている。地位の平等は、人々に自らの独立を感じさせると同時に、人々に自らの弱さを明らかにする。人々は自由であるが、無数の事故にさらされている。そして彼等は経験によって、次のことを学んでいる。すなわち、彼等は他人の援助を日常的には必要としていないが、いつか他人の援助なしにはすましえないときが、殆ど必ずくることを」「大なる恩顧が与えられない民主国では、絶えず奉仕や援助が与えられる。そこでは、人々は献身的であることはまれであるが、すべての人々は奉仕的である」(『アメリカの民主主義・下』p315-317)。

 アダム・スミスは、人間の利他主義についても評価をしたが、どちらかと言えば、利己主義と経済活動の自由放任を是とした。アダム・スミスの『国富論』は、アメリカの独立宣言と同じ1776年に刊行されたが、アメリカはまさに市場経済と個人主義が開花した国となったのであった。
 私たちは「公共」というと、国家や行政の領域だと思いがちだが、国家や行政が後からつくられたアメリカでは、経済活動の自由放任と個人主義と共に、公共や奉仕や援助が発生したのであった。アメリカにおける非営利活動やNPOの背景には、そういった経過と市場経済への適合性があるように思う。

 市場経済が嫌いな人は、利己主義=金儲けを否定して、公共の領域と利他主義を広めようとする。私も利他主義の大切さはよく分かっているつもりだが、「利他主義の精神と公共の領域を広げることが社会をよくすることだ」とばかり言われると、トクヴィルの予言が実現してしまうというのが、「社会主義の失敗」に学ぶ歴史の教訓であったように思う。また、現在アメリカがイラクをはじめ、世界中で押しすすめている「自由と民主主義」の押し付けも、同様な結果となるだろうと思われる。
 利己主義か、利他主義か、と問われれば、利他主義とは利己主義的に真面目に働くことの結果として生じるものなのだろうというのが、現在の私の結論である。怠け者ほど利他主義を当てにする。これは私の人生の教訓である。だから私は、市場経済の中でほどほどに働いて、そこそこ自由に生きようと思っている。

 コミュニティづくりの先進国である自由の国アメリカで、なぜロバート・オーエンは「ニューハーモニー」のコミュニティづくりに失敗してしまったのか。6月から始めたこのブログは、そんなモチーフで書き始めたのだったが、7月からの仕事探しで中断し、8月は寝転がって読書していたら、9月に入ると、だいたい以上のような結論になったのであった。

※トクヴィルの画像は、朝日新聞2005.7.5夕刊より

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2005年9月 5日 (月)

アダム・スミスと「自前の職人」

as  トクヴィルの次に、アダム・スミスでも読んでみようと、神田の古本屋街に行くと、店頭に投げてある本の山の中に、私が若い頃に出版された中央公論の「世界の名著」などが、いくらでも転がっている。1960年代頃までは、まだ教養主義的なところがあったから、文学や思想の古典の全集が大量出版されていたのだったが、今では既に粗大ゴミ化したそれらが、ゾッキ本のように古本屋の店頭に投げてあるわけである。そんなで、8月は500円で買ってきたまだきれいなアダム・スミスの『国富論』を、寝転がって読んだ。

 『国富論』の第一章は、まるごと労働価値説である。マルクスは、アダム・スミスやリカードの古典派経済学から労働価値説を学んで、自らの経済学をつくった。しかし、本来、アダム・スミスは市場原理主義の新古典派経済学の源流である。そこで私は、素人考えで恐縮だが、アダム・スミスの労働価値説に立ち返って、もう一度、コミュニティづくりのための経済学が考えられないかと思ったわけだが、『国富論』に次の一文があった。

 「一般に人間は、他人のために働くときよりも自分のために働くときのほうが、わずかしか働かない、などと想像するのはばかげたことである。貪しい自まえの職人は、出来高払いで働いている職人とくらべてすら、概していっそう勤勉であろう。前者は自分自身の勤労の全生産物を享受するが、後者はそれを親方と分けあう。前者は、べつべつの独立した状態にあるから、悪い仲間の誘惑におちいることは比較的少ないが、大製造所ではそうした誘惑のために職人のモラルが崩れてしまう場合がひじょうに多いのである。月ぎめか年ぎめで雇われて、仕事に精を出しても出さなくても、その賃金や手当が同じであるような使用人にくらべると、自まえの職人がもっている優越性はなおいっそう大きいといえる。(『国富論』世界の名著31 p157)」。

 「自まえの職人」=SOHO型独立自営者をベースにしたスモールコミュニティを構想している私としては、まさに我が意を得たりである。そして、「貪しい自まえの職人」は、あまり税金を納められないから、スモールコミュニティをNPOにして、身体で社会貢献しようというのが、「NPO自主事業サポートセンター」であるのだ。また、「自まえの職人」は、いっぱい稼ごうといっぱい働くこともできるが、そこそこ働いて自由に生きることもできる。

 そんな生き方と働き方をホームページで表現しようと、この夏は、本を読むこと意外は、ひたすらホームページづくりをした。まだつくりかけだが、以下のとおりアップしましたので、見てください。「NPO自主事業サポートセンター」へも、そこから入れます。http://homepage2.nifty.com/guraki/

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