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2005年6月 5日 (日)

SOHO・NPO・BEAT的人生

miura  私は、5年前に会社勤めを辞めて、パート仕事でしのぎながら、SOHOスタイルでDTP仕事を始める一方、失業者ユニオンにも参加して、その仲間とこの春に独立自営型の仕事起しする人をサポートするNPO「自主事業サポートセンター」を立ち上げたら、その直後にパートを解雇になってしまったので、この際とばかりに、50代半ばにしてフリーな生き方というか、SOHO・NPO・BEAT的人生を始めることにしたのだった。

 5年前に会社勤めを辞めた時もそうだった。7年前に出向に出されて、2年間の出向期間が終わった後も、元も職場には戻れないということであったので、この際とばかりに、会社勤めを辞めたのだった。 バブル経済が終わって、グローバル化が進んで、企業のあり方や、働き方が大きく変わりつつあったし、そこにしがみついても明るい人生が開けるようには思えなかったし、この際、自分のやりたいことをやって、生きてみようと思ったのだった。 

 会社勤めを辞める時に、辞めた後は何をしようかということで、食べるためには再就職というよりは、自分で生業を始めようと思った。再就職に役立ちそうな専門的なキャリアは何もなかったし、年齢的にも再就職は無理であった。そこで、自分の好きなこと、本に関わることを生業にしようと、物書きは無理そうなので、DTP仕事を手に職つけて、SOHOスタイルで本づくりを生業とすることにしたのだった。

 それともうひとつ、NPOを企画した。かつて私は、長いこと生活協同組合に職を得ていたのだったが、その当時から「新しい時代の非営利事業」について考えてきて、クローズドなまま巨大化しつつある現在の生協というよりは、ワーカーズコレクティブ型で、しかもオープンな仕組みのスモールコミュニティ型の在り方を模索してきた。そして、1993年と2000年にアメリカのサンフランシスコのNPOを見学する機会があり、「新しい時代の非営利事業」は従来型の協同組合の延長にあるというよりは、NPO型に近いものなのではないかと思い、それを試してみたいと思った訳である。

 ポストバブルの1990年代にあらわになってきたのは、グローバリズムとアメリカ型市場経済の進行である。かつて市場経済でない社会を求めた人々は、政党や組合といった組織の延長に「組織された社会=社会主義」を夢想したが、ポスト工業化社会の進行は、その前提を失わせた。そして、アメリカ型市場経済が猛威を振るっているが、非営利活動であろうと、市場経済に対応するには市場経済的にやるしかないというのが、アメリカのNPOの仕組みである。

 私は5年前に失業してから、失業者ユニオンという謂わば労働組合に入った。ユニオンとはいっても、そこの参加者には所属する会社はなく、ユニオンの課題は「仕事起し」であった。そこで自らの仕事起しも含めて、そのためのNPOを企画して、結局、この春にやっと前述の「特定非営利活動法人・自主事業サポートセンター」を立ち上げた訳である。

 さらにもうひとつ、私がリストラ状況に陥った頃、私は一群のビート系の詩人たちと知り合いになった。ビートとは、1950年代のアメリカ社会の未曾有の繁栄の中にあって、資本主義に背を向けて自由に生きたジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダーといった一群の詩人たちのことで、後のヒッピーの元祖でもあった。

 私は昔から勉強が嫌いで、高校生の頃は新宿や日暮里のジャズ喫茶に入り浸りの青春を送ったが、60年代末の新宿文化的、カウンターカルチャー的なライフスタイルのまま、相変わらず貧乏にして自由に生きている一群の人々、ムロケンさん、セブンさん、JUNさん、ガンジーさんといった、ビート、ヒッピー、ふーてんたちと謂わば「再会」した訳である。

 グローバリスムとアメリカ型市場経済の進行、さらにはアメリカの「帝国化」のすすむ現在は、その一方で「近代主義」の有効性の問われる時代でもある。果たして「自由と民主主義」は普遍的な概念なのか、「自由に生きる」とはどういう生き方なのか、「人と人とを結ぶもの」とは何なのか。果てまた、「世界」はいかにできているのかまでを、このブログでモノローグしながら、少しでも極められたらと思う次第である。

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