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2005年6月 7日 (火)

ワーコレとコミューン

 私が生協で働いていた頃、私はワーコレ(ワーカーズコレクティブ=生産協同組合)に関心を持っていた。小売業としての消費生協よりも生産協同組合の方が、協同組合本来の在り方に近いと思われたからであり、行き詰ったヨーロッパの生協からは「レイドロウ報告」(1980年)の中で、生産協同組合が再提起されていたし、日本でも1970年代末から石見尚氏らが再提起していて、生活クラブ生協ではそれが試行されていたし、東部の労働運動では倒産企業の労働組合による自主再建闘争が闘われていたし、それらの中に新しい時代の企業の在り方や働き方が予兆されていると思われたからである。

 しかし結論から言うと、21世紀を目前にした大転換期にあって、やがて全世界を覆いだしたのは、「レイドロウ報告」が危惧した多国籍企業化を上回るグローバリゼーションとアメリカ型市場経済化の大波であり、本来、それらへの防波堤たる地域共同体なり、組合なりといった相互扶助的な在り方は、時代への対応力を欠いたままではさらに解体が進むだろうというのが実感であり、生産協同組合も、旧来型の労働組合や協同組合の延長にあっては、困難だということである。

 昔から左翼運動をする人が惹かれる言葉に「コミューン」という魔語がある。抑圧から解放された空間といったイメージであり、「ユートピア」にも似た希望の世界であるのだが、果たして「コミューンは可能か」と問うたとしても、ユートピアみたいに「どこにもない場所」とは言わないが、「歴史上、成功したコミューンなどあるのか」という答えが返ってくるのが落ちである。

 とは言っても、コミューンがユートピアと違うのは、どこにもない訳ではないからである。パリ・コミューンにしろ、秩父困民党コミューンにしろあったし、H.ルフェーブルが「パリ・コミューンとは何か。それは巨大で雄大な祭りであった」「そのスタイルを祭りとドラマと定義する」と書いているとおりであるとすれば、私が80年代に体験したパラマウント製靴の自主生産闘争など、10年以上続いたその空間は、間違いなくコンミューンであった。

  さて、ワーコレの話がなぜコミューンの話になってしまうのかと言えば、パリ・コミューンが継para 続数ヶ月、秩父困民党コミューンが継続数日であったのに対して、パラマウント製靴の自主生産闘争は10年以上闘われたし、その原因は、パラマウントには圧倒的な軍隊による圧殺がなかったからというよりは、パラマウントが「産業的コミューン=生産協同組合」であったからである。

 自主生産企業は、パラマウント以降も幾多の労働運動の中からいくつも生み出され、「自主生産ネットワーク」もつくられている。しかし、自主生産企業の本当の困難は、それを闘い取った後に始まる。乏しい資金やマネジメント力で、市場経済の中で事業活動をしていかなくてはならないし、併せて、相互扶助とか友愛といったもの、人と人とのつながりをどうつくるのかという大きな課題もあるのである。

 しかし、産業の場で、地域の場で、人と人とのつながりが創れるのなら、もし「ささやかなコミューン」が可能であるのなら、市場経済をしのぐことは可能であると私は思うのだが。ただし、市場経済をしのぐと言っても、市場経済を否定することではない。市場経済の中にあっても、人と人との関係を保ちながら充分に生きられるという意味である。そしてこのことは、同時に「自由に生きる」という問題につながっていると、私は思うのだが。

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