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2005年6月 9日 (木)

IWWからヒッピーコミューンへ

  1944年11月、B29による本格的な東京空襲が始まったさ中に上落合のアパートで、辻潤がシラミにまみれて餓死した頃、ニューヨークでは海軍をドロップアウトしたジャック・ケルアックが、アレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズと出会っていた。これは、こじつけであるというよりもむしろ、私には輪廻転生であると思えてならない。

 「貨物列車に飛び乗って、ロサンゼルスをあとにしたのは、1955年9月も末に近い、とある日のちょうど正午のこと。無蓋貨車の一つにもぐりこんだぼくはダッフルバッグを枕にして寝転がり…」と、社会主義者で作家のジャック・ロンドンが描く“ホーボー”(貨車を無賃乗車しながら渡り歩くdharmabums非定住労働者)を思わせる書き出しで始まるビートの放浪を描いたジャック・ケルアックの傑作『ダルマ放浪者たち』には、主人公のレイ・スミス(ケルアックがモデル)が、サンフランシスコでジャフィー・ライダー(スナイダーがモデル)と出会い、1955年10月のサンフランシスコの画廊シックス・ギャラリーでのポエトリー・リーディングの後に、いっしょにカルフォルニアの山々を歩く姿が描かれている。

 『ダルマ放浪者たち』には寒山捨得を尊敬しているスナイダーが、ケルアックに寒山捨得を教える場面があるが、辻潤も『文学以外?』に「僕は今、フト少年時代、僕の好きだった浅草観音堂の額を思い出した。・・・両側には二人の童子が気持ちよさそうに寝ている・・・二人が寒山捨得といっ・・・」という辻潤の思い出話しがある。
  エマソンを「西洋の老子」と呼んだ辻潤は、西洋の中に東洋を探りながらも、「私はですから東洋風に、日本人らしく自分のダダを表現したいと思います・・・私は昔からタオイズムのエピゴーネンで、今でも荘子や列子を愛読しています」(1924年『ぐりんぷす・DADA』)と書いている。1918年に辻潤は、比叡山にこもって『自我経』の翻訳をしたが、1956年にスナイダーは、比叡山に登ることを夢見て日本に旅立って行った。

 エマソンは、。『ウォールデン(森の生活)』で知られるヘンリー・ソローと共に、1830年代のアメリカで超絶主義という思想を提唱し、「すべての人間の精神を結びつける大きな宇宙の精神構造がある」と主張した。そして超絶主義の考え方は、仏教の影響を受けているという。
 鈴木大拙は、老子研究をするアメリカ人の手助けするために、1897年にアメリカに渡った。1905年には、鈴木大拙の師である円覚寺管長の宗演がサンフランシスコに渡り、鈴木大拙と共に8ヶ月に及ぶ布教活動をしている。そしてケルアックの『ダルマ放浪者たち』には、バークレーにあるスナイダーの掘っ立て小屋に鈴木大拙の全集が置かれていることが書かれている。

 さて、辻潤が比叡山にこもっていた頃、20世紀の初頭のアメリカに、鉱山や鉄道工事、森林作業といった領域での底辺労働に携わる移民労働者を中心にした世界産業労働組合(Industrial Workers of the World=IWW)というサンジカリズムを唱える労働組合運動があった。
 1905年に日本を逃れてアメリカに渡った幸徳秋水も、アメリカのサンジカリズムに触発されて、帰国後は唯物論よりもアナルコサンジカリズムを唱えたのであるが、IWW自体は第1次世界大戦と大恐慌を経てパックスアメリカーナに向かいだしたアメリカ資本主義のトラスト化の中で、労働運動の中心をAFL(アメリカ労働総同盟)に取って代わられて、サンコ・ヴァンゼッティ事件などの冤罪弾圧を受けて、歴史の舞台からは消え去ってしまった。

 そして『ダルマ放浪者たち』には、スナイダーがケルアックに「僕がつねづね自由を旗印とする運動、北西部の無政府主義者の活動や、エヴァリットの虐殺事件(1916年に起こったIWWへの弾圧事件)の英雄に対して、共感を抱いてきたのは…」と語る場面が出てくるが、スナイダーはもうほとんど、ウオブリー(IWWの活動家の総称)の末裔である。

 ビートに始まる対抗文化の試みは、その後、ヒッピー・ムーブメントや学園紛争、ベトナム反戦運動へと引き継がれていくが、そこで行われたフリースピーチ運動やコミューンづくりなどは、IWWが行い、夢見てきたものでもあった。

 20世紀のアメリカは、資本主義の高度化と大衆社会を実現し、世界一豊かな社会を実現したが、その高度管理社会に対抗し、はみ出していく若者を絶えず生み出してきた。70年代以降も対抗文化する若者は、大型コンピューターに代えてパソコンを生み出し、80年代のレーガノミックスの時代には、多様な非営利活動のネットワーキングを広げ、90年代にはインターネットを開花させた。

 さて、アメリカ型市場経済の蔓延は、人と人とのつながりを解体していくが、ポスト産業社会にはいかなるコミューンが可能だろうか。これまでの話で私が思うことは、人や出来事は時空を越えてつながっているのだということと、そこで「人とひととをつなぐもの」のキイワードは、ケルアックが言うように、「共感(sympathy)」であるということである。前章で、朔太郎が辻潤に感じたのも、おそらくそうであったろうと私は思う。

 鈴木大拙やゲーリー・スナイダーが追い求めたものは、おそらく西洋と東洋との調和であり、IWWの貧乏労働者たちが夢見たものも、“Industrial Workers of the World”というその名称に表されたごとく、国境を越えた労働者の連帯、協同主義的共和国の建設であったのであろう。そして、ビート的生き方と、私が立ち上げたNPO自主事業サポートセンターは、私なりのその希求なのである。

 

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