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2005年6月 9日 (木)

ダシール・ハメットとIWW

hammett  ビートゼネーレーションの前の世代が、ロストゼネレーションであり、その代表作家のヘミングウェイの文体はハードボイルドであるが、同じ時代にハードボイルド小説の元祖となった作家にダシール・ハメットがいる。

 日本映画の歴代ナンバー・ワンを選ぶと黒澤明の『七人の侍』が選ばれるのと同じように、ハードボイルド・ミステリー歴代ナンバー・ワンを選ぶと、ほぼダシール・ハメットの『マルタの鷹』となる。個人的には、レイモン・チャンドラーの『長いお別れ』が好みだが、ハメットの『マルタの鷹』がナンバー・ワンであることには、何の異存もない。
 ある日、酒好き女好きで金には縁のない私立探偵事務所に美女が相談にやって来る。美女の相談を引き受けた探偵は卑しい街をあくせくと歩き回り、ヤクザや警官にこづき回されたあげくに、金にも色仕掛けの誘惑にも「それがどうしたというのだ」とばかりに、ハードボイルドに事件を解決させるが、大した報酬を得ることもないという私立探偵物語の原型こそ、ハメットの『マルタの鷹』にある。

 1929年に出版されたハメットの最初の長編小説『血の収穫』は、「緑色の女と灰色の男」という小節から始まる。緑色の女はもちろん美女だが、灰色の男は労働組合のオルグである。『血の収穫』は、サンフランシスコのコンチネンタル探偵社から派遣されたオブ(探偵)が、市行政と警察と資本家が癒着して腐敗した鉱山町で、町の浄化をやる話なのだが、労働組合のオルグである灰色の男は、鉱山労働者の組織化のためにIWWから派遣されたリーダーという設定になっている。
 『血の収穫』の中で、灰色の男は主要な登場人物である訳ではないが、1929年当時においては既に滅亡しつつあったIWWという労働組合は、ハメットの中に強い印象を残している。それは、ハードボイルド作家になる以前に、ハメットが実際にピンカートン探偵社でオプ(探偵)をやっており、そこでの体験もあったのであろうと思う。ピンカートン探偵社は、まだ連邦警察がない19世紀半ばに創設された全米をネットする民営の警察みたいなものであり、労働争議におけるガードマンみたいなこともやっていた。おそらく若きハメットも、たびたび鉱山争議などに派遣されたのだろうが、そこでハメットに刻み込まれたものは、資本家の腐敗であり、ストライキをする貧しい鉱夫たちの顔であり、それを指導するIWWという労働組合であったのだろう。

 『血の収穫』や『マルタの鷹』で、ハードボイルド作家として大成功したハメットは、その著作権や、ハンフリー・ボガード主演の映画『マルタの鷹』などの映画化権で莫大な富を得るが、公民権や労働者の権利擁護などに共感したハメットは、作家としての成功後はマルクス主義を信奉し、アメリカにおける共産党員の公民権を擁護した。そして、第二次世界大戦後の「赤狩り」で共産主義者として裁判にかけられた。
 狂気の“赤狩り”による罪状など、反民主主義的な言いがかりみたいなものであるが、ハメットにとって政治とは、信条の問題であった。『マルタの鷹』のサム・スペイドが、真犯人である美女の誘惑に対して、「それがどうしたというのだ」と対応するのと同様に、ハメットは裁判官や判事の尋問に対して、「お答えするのを拒否します」とだけ応え、投獄されたのだった。

 ハメットは、1959年に亡くなるまで、晩年は筆を折り、無一文で、友人の提供してくれたコテージでつつましやかに暮らすという生活を送った。時代は、アメリカが今日のグローバル資本主義に至るプロセスでもあったが、沈黙こそハメットの生き方であった。それは、誰かをかばうと言うよりは、ハメット自信の「信条」の問題であったのだろう。仲間への信義と自らの信条、それも「人と人をつなぐもの」として、前章で書いた「共感」と同列であると私は思う。

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