クレスビ・ダッダ
ブログを始めて一週間、初めてのコメントがありました。ottocento50sさん、ありがとうございます。
私の友人にTBS番組「世界遺産」のプロデューサーをしていた男がいて、昨年、彼が撮ってきた世界遺産にもなっているロバート・オーウェンのニュー・ラナークの放映があって、彼とその話をしていた時に、彼が「イタリアのクレスビ・ダッダという所にも、ニュー・ラナークと同じような所があるよ」と言って、彼が撮ってきたクレスビ・ダッダのビデオを見せてくれましたが、私の感想は、ニュー・ラナークとクレスビ・ダッダは少し違うかなということです。
前に書いた「理想社会」の二つの型、国家社会主義型とロバート・オーウェン型で言うと、クレスビ・ダッダは、ムッソリーニの国家社会主義ならぬ、資本家による企業社会主義のような気がします。そしてクレスビ・ダッダは、1929年に始まる世界恐慌の影響を受けて崩壊したのでした。
ottocento50sさんは、「明治維新の頃まで統一国家ではなかったイタリアの原点は、小さな村や町単位に構成されていたコムーネです」と教えてくれました。(※コメント参照)コムーネというのは、コミューンのイタリア語読みでしょうか。私はイタリアには不案内なのですが、協同組合の世界では、イタリアには生産協同組合や自主管理の伝統があること、ポポロと呼ばれる労働者の家、レガと呼ばれる協同組合の全国組織があることなどが知られています。そしてそれらの中には、コムーネの伝統が引き継がれているのかもしれませんね。
また、ottocento50sさんが言われるように、ヨーロッパの国々には共同体による自治の伝統があって、その伝統がアメリカの市場原理型資本主義とは違う、ヨーロッパ型の資本主義やEUの中に生かされているのかもしれませんね。
その辺りのことは、もう少し後でふれたいと思っていますが、ここで私の公式主義的近代理解をおさらいしておけば、共同体と共同体の間の交易で市場が生じ、産業革命によって市場が広がり、民族的統一国家の成立と併せて国民経済が成立する、となります。
さて、前章で書いたアメリカに生じたコミューン、アメリカ革命とも言うべきトクヴィルの見たアメリカは、その後どうなるのでしょうか。アメリカのコミューンは、ottocento50sさんが言われるようにヨーロッパにあった共同体が移民と共に引き継がれたというよりは、宗教上の理由でカルヴィニストが、経済的な理由で本国で食いはぐれたか、一攫千金を夢見る者が新天地に移住したものの、先住民の住む未開の地で生きていくためにコミューンがつくられたものと思われます。
そしてアメリカは、イギリスからの独立戦争を戦い、ヨーロッパ諸国が未だ専制政治の時代にある中で、「すべての人間は生まれながらにして平等である」の独立宣言、「連邦主義・三権分立・民主主義」による共和制、「天は自ら助くる者を助く」の開拓者精神でアメリカ革命を行ったのでした。
私が青春の頃、アメリカはベトナム戦争をやっていて、私はアメリカが嫌いで、近代市民革命はフランス革命に始まり、ナポレオンのイエナ入城を目前にヘーゲルは『精神現象論』を書き上げ、やがてマルクスは・・・、などと思っていたのでしたが、この歳になって、よく歴史を見てみれば、アメリカ革命のリアクションがフランス革命なのでした。
その後アメリカは、19世紀を通じて西部開拓を行い、産業を発展させ、20世紀に入ると2度の世界対戦を経て覇権国家となり、現在では「アメリカ革命の理念である自由と民主主義こそ、近代社会の普遍的理念である」とばかりに、世界中にアメリカの利益につながる政策をおしつけつつあります。
トクヴィルの見たアメリカのコミューンはどこに行ってしまったのか。帝国化しつつあるアメリカは、アメリカ革命の延長にあるのか。
さて、これを問いだすと、「近代とは何か」という大きな問題になってしまって、書くのがたいへんそうなので、今日はこれまで。ブログにはまり込んだ一週間でしたが、明日からはまた職さがし、仕事さがしです。
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