2022年2月27日 (日)

かような時代には、かような時代の「文学と革命」を!

一昨日から、島崎藤村の『新生』を読み出した。『新生』は、女房を失った後、藤村宅の家事手伝いをしていた姪を孕ませ、1913年に日本から逃げるようにしてフランスに渡った藤村をモデルにした小説で、芥川龍之介は「『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった」と評した。藤村の小説はこの『新生』だけ未読であったので、晩冬の夜の手持ち無沙汰に買い置きした本を読み出したわけだが、昨晩読んだ上巻後半には、思いもかけず、戦争の始まりが描かれていた。「岸本がオーストリア対セルビア宣戦の布告を読んだのは、ちょうどその自分の仕事に取りかかっている時であった。・・・底気味の悪い沈黙は町々を支配し始めた」「来るべき大きな出来事の破裂を暗示する空気の中で、岸本は仕事を急いだ」「平和なパリの舞台は実に急激な勢いをもって変わって行った」「壮丁という壮丁は続々国境に向かいつつあった。・・・はやドイツ軍の斥候が東フランスの境を侵したという報告すら伝わっていた」と。そして明け方、眠る前に朝刊を開けると、その1面トップには「ロシア、ウクライナ侵攻」の大見出しのシンクロニシティ。そして昨日は、SNSもテレビも「ロシアのウクライナ侵攻」一色で、私も上記の藤村のような気分で一日を送り、深夜にそのつづきを読んだら、『新生』上巻末には藤村の父への回想が書かれてあった。上記にある藤村の「その自分の仕事」とは、「東京浅草の以前の書斎で書きかけた自伝の一部」であり、これは後の『桜の実の熟するとき』であろうか。そして「父への回想」は、『夜明け前』につながるものであろう。島崎藤村は3人のこどもを犠牲にして日本の自然主義文学の名作『破戒』を書き、名を成した後は姪を犠牲にしてフランスに渡り、これも近代文学の大作『夜明け前』を構想する。島崎藤村は「老獪な偽善者」である一方、やはり「文豪」なのであろう。それにしても、世界はすごいことになってきたなと思うところ。日本の底が抜けただけでなく、世界の底も抜けるかもしれない、もうなんでもありだ。柄谷行人は「近代文学の終わり」を語ったが、文学が終わったわけではない。私的には、Photo_20220227090701 

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2022年2月11日 (金)

晩期木下尚江論覚書

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2月に入って本作りが一段落したが、生活が昼夜逆転してしまったのと外は寒いのとで、深夜も日中も蒲団の中で本読み、時々起きて酒飲みという巣篭もり生活がつづく。何を読んでいるのかというと、前に読んだ木下尚江の小説を再読しながら、晩期の木下尚江について考えているところ。当初私は、キリスト教社会主義者である木下尚江を等閑視していたわけだが、鄭玹汀さんの『天皇制国家と女性』(教文館2013)を読んでいたく反省し、あらためて読んでみれば、木下尚江は日本の社会主義運動の中で、とりわけ天皇制や家族制度、いわば国体批判において際立っている。それは木下尚江が、同時代の中で稀有のキリスト者であり共和主義者でありえたが故であると思われるが、私にとっての関心は、木下尚江が1901年の社会民主党結成に参加し、日露戦争中の平民社を支え、1906年6月に幸徳秋水がアメリカから帰国するといっしょに社会党に参加するという日本の初期社会主義運動を代表するひとりでありながら、1906年10月には社会党を脱党して以降、1937年に69歳で死ぬまで、社会主義運動から手を引き、長く沈黙しつづけたことである。そこで昨年末来、社会主義離脱後に書かれた小説類を中心に、「晩期木下尚江論」を構想するわけだが、これは文学論を書くつもりではない。今日の日本の政治状況の中で起こっている改憲策動とは、謂わば国体復古の策動であって、要は、木下尚江が直面した問題、謂わば「近代日本における共和主義の実現=天皇制の廃絶は可能か」という問題は、軍国主義国家の敗戦と戦後民主主義を経ても、何も解決されないままに現在に至っているということであり、いちばんの問題は、改憲派による国体復古の策動は、昨年と今年の衆参の選挙を経て、実現しかねないところまで来ていることである。木下尚江の沈黙は、明治維新後の日本の擬制の近代化と闘った真の近代人の挫折と沈黙であったのか、沈黙の果てに見たものは何か。木下尚江は、最晩年には再び執筆をして過去を省み、1937年4月の総選挙では無産党の鈴木茂三郎に投票し、同年7月に日中戦争が始まる中、同年11月5日に永眠した。私には、いま時代は1937年に還りつつあるように思えてならず、木下尚江のつづきをやらねばと考えているわけである。

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2022年1月15日 (土)

羅須ゼミⅢ「甦るマルクス、甦る宇野理論」

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※以下は、今日行われた仙台・羅須地人協会の羅須ゼミでのZOOM講演「甦るマルクス、甦る宇野理論」です。

1.私の初夢
年が明けて何がおめでたいかと言えば、それは自民党政権において「新しい資本主義」が模索され、元旦の日経新聞は「資本主義 創り直す」と書くように、資本主義の限界があからさまになったことであろうか。「ポスト新自由主義の資本主義はあるのか?」、それとも「資本主義のオルタナティブは可能か?」ということになるわけだが、それがあるとして果たしてポスト新自由主義の資本主義はいかなるものになるのかを問えば、新自由主義の徹底による労働力の商品化を100%やりきった資本主義が迎えるのは、地球規模の資本主義の破産と最後の世界大戦の勃発であろうか。いわばハルマゲドンであるわけだが、これまでの資本主義が恐慌を通じて蘇生するように、ポスト新自由主義はAIでロボットを産業予備軍化させ、資本が地球外も含めて新たな市場を開発出来るかと言えば、消費する労働者を消滅させた世界は、千年王国の到来というよりは、地球規模の専制型世界政府によるデストピアになるというのが、2022年の私の悪夢的初夢であった。

2.新自由主義と宇野理論
資本主義の運命はすでにきわまったとする論考は、半世紀前に出版された大内力『現代資本主義の運命』(東大出版会1972)で語られ、その続編となる大内力『現代社会主義の可能性』(東大出版会1975)では、大内力さんが冒頭「もし資本主義のもっとも基本的な規定が労働力の商品化にあるとするならば、その否定としての社会主義は労働力の商品化の否定でなければならない」と語り、宇野系の学者(日高、馬場、矢吹、中山、高橋、田中)たちによって、エンゲルスにおける所有論的な、初期マルクスにおける否定の否定な社会主義理解への疑問や、「ザスーリチ宛ての手紙」や『ゴータ綱領批判』における協同組合やパリコミューンへのマルクスの着目が語られている。この流れは、当時の日本社会党におけるソ連社会主義をベースにした「日本における社会主義への道」の見直しにつながって、1980年代に入ると、フランスにおける自主管理を標榜したミッテラン政権の成立やユーロソシアリズムのの影響もあって、80年代半ばに「ニュー社会党宣言」にまとまった。しかし、その後の歴史経過はソ連型社会主義の廃止であり、社会党の実質的解党であり、天敵をなくした資本主義は、グローバル化と新自由主義によって延命しつづけて、地球の底さえ抜こうとしており、今回羅須ゼミが「オルタナティブ」をテーマにするのも、私が「資本主義のオルタナティブは可能か?」を語ろうとするのも同根であろう。昨年末の末永さんのメールには、「宇野理論は(政治的)実践活動? にはほとんど役に立たないという感触の方に傾いてしまいますね。少なくとも私自身は」とあったわけだが、今日の話を結論から言ってしまえば、悪夢の初夢に対する私の処方箋は、宇野理論によって「資本主義のオルタナティブ」を構想し、「労働力商品の止揚」の在り様を実践的に模索し、それを現実の「脱労働力商品(アソシエーショニスト)的働き方」や「アソシエーションやコミュニティの形成」へとつなげていくことであり、宇野理論はそのための最高の学問であるということである。

3.甦るマルクス―福留久大氏の「人新世時代の社会主義」論
「宇野理論は(政治的)実践活動? にはほとんど役に立たない」というのは、宇野理論は学問であってイデオロギーではないからである。イデオロギー的なマルクス主義によれば、革命運動とは唯物史観のイデオロギーで革命政党によるプロレタリア独裁をめざして階級闘争を行うことであり、新左翼的にはそれに世界資本主義論から世界同時革命論と過渡期世界論を付け加えたイデオロギーであったわけで、これらはソ連崩壊後はほぼ力をなくした。そしてそれと入れ替わりに全世界を新自由主義が跋扈する中で、再び見直されようとしえいるのは『資本論』であり、「甦るマルクス」であろうか。「甦るマルクス」につついては近年斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』が評判になっているが、現在刊中の大内先生の「晩期3部作」もそうであり、その両著について、福留久大氏が昨年、社民党系の『進歩と改革』に「人新世時代の社会主義」を連載され、そこに仙台・羅須地人協会を以下のように紹介しているので、そこから見ていきたい。

「人新世時代を生き抜く知恵を求めて各地で模索が続その一つに仙台・羅須他人協会がある。羅須他人協会は、1926年、宮澤賢治が花巻に開いた地域農民との共同研讃の組織。その精神の継受とともに、マルクス-モリスの社会主義の要素を摂取して2013年に仙台に設立されたのが、仙台・羅須他人協会。発案し中心を担うのは、大内秀明・東北大学名誉教授。宇野弘蔵の直弟子として『資本論』の学説史的解明を軸とする学術活動とともに中央・地域の各種社会活動、で著名である。半田正樹(東北学院大学)・田中史郎(宮城学院女子大学)の二人の経済学者をはじめ尊敬する師への支援に尽力する老若男女の集いが形成され、『資本論』読書会、地域問題討論集会、出版活動が継続的に行われる」(『進歩と改革』2021年5月号)。
「モリス研究を進める大内秀明は、『資本論』の理解、特に「否定の否定」の論理の解釈に感嘆して、モリスを高く評価するに至る。また宮沢賢治の「芸術をもて、あの灰色の労働を燃せ」という標語がモリスの芸術論に由来することを知って、「賢治ファン」の仲間入りともなった。2003年には、仙台郊外・作並の地に森のミュージアム「賢治とモリスの館」が開設された。2013年に、仙台・羅須地人協会が設立された。『賢治とモリスの環境芸術』(時潮社2007)、『ウィリアム・モリスのマルクス主義』(平凡社新書2012)、『土着社会主義の水脈を求めて―労農派と宇野弘蔵』(平山昇との共著、社会評論社2014)、ウィリアム・モリス、E.B.バックス・共著『社会主義、その成長と帰結』(晶文社2014)、『日本におけるコミュニタリアニズムと宇野理論』(社会評論社2020)と、関連著作の刊行も続いている(※別紙「資料」参照)。特筆すべきは、志を共にする人々によって、将来社会の展望を内包した形で、東北の地を舞台とした具体的な地域循環型社会の構想が練り上げられていることである。大内秀明ほか共編著『自然エネルギーのソーシャルデザイン』(鹿島出版会2018)では、仙台都市圈における広瀬川水系を中心とする地産地消型エネルギー構想が論じられる。篠原広典・半田正樹・編著『原発のない女川へ-地域循環型の町づくり』(社会評論社2019)では、女川に焦点をあてながら、いずれの原発立地自治体でも適用可能な「原発に頼らない地域循環型」社会構想が打ち出されている」(同6月号)。

福留久大さんは大内秀明『日本におけるコミュニタリアニズムと宇野理論』(社会評論社2020)に着目して、以下のように書く。
「そこでは、恩師・宇野弘蔵に即した『資本論』理解が提示されるだけに留まらず、宇野に欠けた論点を挙げてその補完に努める意志の表明が行われている。・・・「所有論アプローチ」について、こう述べられている。「自己の私的労働に基づく私的・個人的所有、その否定である社会的労働に基づく私的・ブルジョア的所有、さらにその否定である社会的労働に基づく社会的・公共的所有の『所有法則の転変』を、宇野『原理論』は厳しく批判したのである。こうした批判は、後期マルクスの『資本論』そのものにも向けられ、『科学的社会主義』の基礎づけとなった。宇野理論の真髄は、単なる価値形態や労働力の商品化の強調だけではない。唯物史観のイデオロギーに他ならぬ『所有法則の転変』の全面的否定だった」(153-4頁)。大内には宇野に対する望蜀の念も残る気配である。「宇野は唯物史観の残滓とも言える『所有法則の転変』を否定し、いわゆる『窮乏化法則』などのドグマを排除したが、モリスなどに積極的に関説しなかったことにもよるだろうが、『共同体』の位置づけなど、コミュニタリアニズムについて積極的に踏み込んではいない。価値形態論を強調し、労働力の商品化の矛盾を資本主義経済の『基本矛盾』として設定したうえで、社会主義の目標についても、宇野は『労働力商品化の止揚』を強調した。しかし、それがコミュニタリアニズムに結びつく点には一切触れることなく、超然と『南無阿弥陀仏』としていたのであり、そうしたイデオロギー的禁欲を続けたままだった」154-5頁)。このような望蜀の念を越えて、宇野に対する学問的批判の一端も垣間見ることができる。「宇野による『資本論』冒頭の労働価値説批判は、スミスの労働=『本源的購買貨幣』の批判であり、商品経済的富を『労働生産物』に還元、非労働生産物の労働力だけでなく、土地・自然をも排除されていた。宇野の冒頭商品論は、『労働生産物』ではないが、『資本の生産物』に限定し、一方で価値形態論を重視しながら、スミスや『資本論』とともに、労働力や土地・自然を除外している。そのため『貨幣の資本への転化』『地代論』に難点が生ずるだけでなく、土地・自然に結びつく『共同体』の位置づけ、さらには『人間と自然の物質代謝』との関連も、不明確になっているように思われる」。そう述べた後で、「別稿を準備したい」と明記されたところが注目点である」154-)。(同8月号)

この「別稿」については、間もなく『甦るマルクス―「晩期マルクス」からコミュニタリアニズムへ』(社会評論社)として発行される予定。上記のほかに福留久大氏は、「直球勝負の趣で骨太に〈労働力商品の止揚〉に基づく社会主義論を展開するのは、鎌倉孝夫氏である」として、鎌倉孝夫氏が『進歩と改革』2015年9月号に書いた「『資本論』の社会主義論」を解説して、「・・・こうして先の章句を巡るマルクスの真意が次のように解明される。〈マルクスが強調したのは、私有―労働者による私有の問題ではなく、結合した労働者こそ社会の主体であり、その社会的労働こそ社会存立・発展の根拠であること、土地・自然力は、社会の主体である結合した労働者による共同利用の対象と捉えなければならない、ということであった〉」とまとめ、「宇野弘蔵に始まり、大内秀明や鎌倉孝夫によって継承された「労働力の商品化」の概念は、如何なる形で問題とされるのか。少なくとも次の三特質が労働者にとっての弱点として指摘される。①商品の販売の困難。貨幣の直接交換可能性―雇用の不安定、失業の、引いては生存の危機。②賃銀―労働市場で他律的に決定される。③労働が資本家の意志と指揮の下で行われる。労働における労働者の主体性の排除。疎外された労働。・・・・これらの弱点を如何に克服するか、そこに「労働力商品化の止揚」の道が開かれることになる。その点を、次号以下において探りたい」と書いた。そして、最終回の『進歩と改革』2021年9月号でのまとめは、以下のとおりであった。

 「異常な酷暑、未曽有の豪雨被害、確実な環境危機の顕現である。貧困と格差の拡大、先進経済圏の人□減少の深刻化、確実な文明危機の顕現である。底知れぬ暗い閉塞感が人々を覆うのも当然の成り行きである。そのとき、「顕在化してきた危機の根本原因は資本主義、問題解決には資本主義からの脱却が必要」と言い、「唯一の解決策は、マルクスの唱える、潤沢な脱成長経済だ」と叫ぶ斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書)が、新鮮な響きを発して多くの人々に迎えられたのも自然の成り行きであろう。斎藤さんは、驚くほど丹念に『資本論』を読み込んでいる。資本主義批判にも稀有の鋭さが認められる。彼が、大学・大学院を米国や独逸で過ごしたことが、正負両面の影響をもたらしている。一方では、活発な国際交流を可能にしたが、他方で、戦後日本のマルクス経済学の研讃の成果を摂取できずに、古い旧来の『資本論』解釈から脱却できないことになった。・・・・筆者は、「労働力の商品化」を資本主義の核心的矛盾として捉え、その止揚・廃絶をもって社会主義への接近とする見地に立ちたいと思う。したがって、労働大衆の団結に基づく経済的地位と政治的意識の向上が基本的課題となる。・・・如何に迂遠であれ、地道に努力を重ねる以外に妙案は有り得ない。ただ政治的意識の面では、環境危機と文明危機に特別に強い関心を払う必要が生ずる点が、「入新世時代」の特徴となるであろう」と。

4.甦る宇野理論
 上記の福留久大氏による仙台・羅須地人協会の説明(3のゴチック部分)を読めば、福留氏が実に的確かつ理論的に仙台・羅須地人協会をとらえて、そこに期待していることが解る。とりわけ重要なのは、福留氏が「大内には宇野に対する望蜀の念も残る気配である」としながらも、「望蜀の念を越えて、宇野に対する学問的批判の一端も垣間見ることができる。・・・「別稿を準備したい」と明記されたところが注目点である」と書くところで、これは私的には「甦る宇野理論」への期待となる。要は、福留氏は「労働大衆の団結に基づく経済的地位と政治的意識の向上が基本的課題」とするわけだが、現在の連合を見れば、労働組合によるそれは、限りなく困難であると思われる。新自由主義化した資本主義は、少数の正規社員による特権的組合と、圧倒的多数の非正規の未組織労働者を分断するからであり、今日的な労働運動の課題は、労働者の脱労働力商品化をいかに図るかにあるからであり、福留氏が「次の三特質」とする「労働者にとっての弱点」があるからである。
 第1回目で話したように、私は生協で働きながら消費型の生協よりも生産協同組合に関心を持ってきた。そして22年前に生協を辞めて、脱労働力商品的働き方と生き方を模索してきたわけだが、2004年来「賢治とモリスの館」に通い出し、2005年に出版された大内秀明『恐慌論の形成』(社会評論社)を読んで以降、宇野派を自称するようになった。そして宇野弘蔵をはじめ、大内力、大内秀明、鎌倉孝夫らの先生たちが唱える「労働力商品の止揚」とはいかなるもので、いかにしてそれをすすめるのかを無い頭で考えてきた。そしてこれは、ただ考えればいいという問題ではなくて、新自由主義によって格差の底辺に押しやられる圧倒的多数の労働者や社会的弱者が、公平に職を得て搾取なく働けるようになるためには、さらには資本主義を変えるためには、宇野理論に基づく「労働力商品の止揚」と「アソシエーションの形成」、道はここにしかないと確信するところ。最初に書いたように、①「資本主義のオルタナティブ」を構想し、②「労働力商品の止揚」の在り様を実践的に模索し、③それを現実の「脱労働力商品(アソシエーショニスト)的働き方」や、④「アソシエーションやコミュニティの形成」につなげることが必要だと、前回お話したように、昨秋に宇野理論と社会的実践活動を媒介するワーカーズ・コレクティブ「アソシエーションだるま舎」を立ち上げた。そして今春そこからの初出版として、「反貧困・反差別」をテーマにした瀬戸大作『この暗黒社会に光を』と、大内秀明『甦るマルクス』を刊行する。また、この福留さんの「人新世時代の社会主義」も本にしたいと考えている。

前述したように大内先生の「晩期3部作」の「2作目」は近々刊行予定。そして残る「3作目」は、大内兵衛『経済学五十年』(東大出版会)、宇野弘蔵『「資本論」五十年』(法政大学出版会1970)にならって、『宇野経済学七十年』もしくは、大内先生は今年で90歳になられるから、『大内秀明(おおうちしゅうめい)九十年』の書名にして、先生はまだまだお元気だけど、遺書を書くつもりで存分に語っていただいて、本にまとめたいと考えている。これが私のもうひとつの初夢で、これはいい夢だと自賛中。オミクロン株の急激な拡大が気になるけど、三度目のワクチン接種とPCR検査を受けたら、仙台にうかがいますので、よろしくです。
当初私は、このゼミで「アソシエーションの形成によるオルタナティブな地域社会づくりへ」を予定していたけど、未だそこに行けない。来年は仙台・羅須地人協会創設20周年になるだろうから、そこに向けていっしょに考えて行きたい。来年の初夢に向けて、これもよろしくです。

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2022年1月 7日 (金)

大田英昭『日本社会主義思想史序説』

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facebookをやるようになってから、ブログを書かなくなった。しかし、facebookで過去の書き込みを探すのは難しく、結局は埋もれてしますので、残しておきたいログはここに再生させることにした。探し出した順に載せるので、日付的には順不同だが、私的にはタイトルでカテゴリー分けをするから、facebookよりは検索やすいだろうと思うわけ。

2021年12月4日 ·
大田英昭『日本社会主義思想史序説』(日本評論社2021.11.30)を読了。この本は、鄭玹汀さんが彼女のfacebook(11月24日)に、「木下尚江の思想について極めて精緻な分析が行われており、大変役に立ちました。これまでの社会主義研究を批判的に総括するとともに、近代日本の思想史をまったく新しい観点から捉え直したことに、本書の意義があると思います」と紹介され、本の副題には「明治国家への対抗構想」とあったから直ぐに購入した。要は、11月末に総選挙が終り、明治憲法への復古や、家族制度の維持や、嫌韓嫌中の排外主義や軍拡をあからさまに語る改憲勢力が国会の2/3を超えるその結末を見れば、いま対応が必要なのは、正にこの課題「明治国家への対抗構想」であるからだ。鄭玹汀さんが、本書を出版前に読まれているのを見ると、おそらく鄭玹汀さんは大田英昭氏から謹呈されたのであろう。前に大田英昭『日本社会民主主義の形成』(日本評論社2013)を読んだら、片山潜における労働組合と協同組合、総じて社会民主主義への先駆的取り組みと併せて、木下尚江への言及があり、「あとがき」には「草稿段階の博論について有益なご批評をいただいた東京大学の鄭玹汀氏」への謝辞があった。鄭玹汀さんの『天皇制国家と女性』(教文館2013)も同年の発売であるから、ふたりは研究仲間であったのであろうか。今回の『日本社会主義思想史序説』は、日本に於ける社会主義の受容を、東洋社会党の結成や、アメリカ帰りのクリスチャンによる社会主義思想の導入や、片山潜における労働運動や移民の実行、さらには堺利彦における家庭(小さな共同体)と非戦論の形成、そして木下尚江と田添鉄二における韓国やアジアにおける被圧迫民族との連帯に見ながら、それらに対する国家によるシフトと弾圧はその時代のことと言うよりは、現在においてなお同様な構造で反復再生することを問題提起している。大田英昭氏はまだ40代で、中国の大学で先生をしながらも、明治期の第一次資料に徹底的に当たる姿勢には驚かされる。アジアとの連携の中から、明治以降の日本の近代化が見直されるのは、とても重要なことであるだろう。だから『日本社会民主主義の形成』、『天皇制国家と女性』、『日本社会主義思想史序説』は、「明治国家への対抗構想」形成に向けて、多くの方に読まれることを願うわけだが、『日本社会民主主義の形成』はA5版600頁の大著で定価は6200円+税、鄭玹汀さんの『天皇制国家と女性』は同400頁で定価は4200円+税、『日本社会主義思想史序説』は同300頁で定価は4300円+税で、おそらくどれも初版は1000部程度であろうから、購入にはハードルが高い。だからこの3著の思想を多くの人たちに伝えるには、それぞれを要約した新書版くらいの本も書いてほしいところ、無理だろうか。『日本社会主義思想史序説』は「序説」だから、今後は本論が書かれるであろう。鄭玹汀さんの「木下尚江評伝」も書き進められていることだろう。しかし、それらを楽しみにする一方で、総選挙の結果を受けて、明治憲法への復古的改憲や、政治社会状況の戦前的翼賛化への反復は、怒涛のようにすすむ可能性がある。コロナのせいもあるけど、例年よりも静かな年末、果たして来年はいかなる年になるのか。今日は仙台・羅須地人協会のゼミがZOOMであって、ZOOMを開いたら大内秀明さんがいて、「平山君、本を頼むよ」と言われた。年明けには出版出来るよう、年内はこれに集中するする。

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2022年新春の読書

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2022年1月3日
今日で三が日も終わり、大晦日からの読む&飲むの4日間、3連敗したけど、今日は飲まずで、新年は、1勝2敗。読んだのは、年末に購入した西谷修『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書2020.10)と藤井達夫『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』(集英社新書2021.11)。西谷修氏は、以前にM.ブランショ『明かしえぬ共同体』(ちくま文庫1997)を読んだ時にその翻訳者であったから、文学系の方なのかと思っていたわけだが、とても視野の広い方で、西洋の近代200年と日本の近代150年を重ね合わせてグローバルヒストリーを展開し、近代化の果てに新自由主義化した世界と日本の現状をきめ細かく解き明かす。とりわけ日本の場合、危機への対応が、世界の流れとは逆ドライブになっていることを大化の改新まで遡って解説していて、書名どおり「私たちはどんな世界を生きているか」を知るには好著であった。西谷修氏は、「選挙も政策という商品販売競争で、じつは各人の欲望をもとに市場原理で決定される。そして権力を手にした者は、選挙に勝ったことを根拠にしてそれを私物のように行使することができる、といった体制を生むことになります」と、政治の民営化にもふれるわけだが、このことをテーマに書かれているのが、藤井達夫氏の『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』である。両著に共通のキイワードは「新自由主義」であり、新自由主義を妄信して政治を私物化する愚かな政治の果てに、日本は社会の底が抜け、展望を描くことさえ困難になった時代の中で、最後に西谷修氏は以下のように書いている。

「国民が主の政治をせよと要求する人たちは、せいぜい20%ぐらいかもしれません」。「いますでに、システムによって周辺に吹き飛ばされた人びとが、民主主義に飽きたり、社会に興味を持てなくなったりしている。彼らはどうすればいいのだろうか。投票しない人が50%もいる。その人たちは・・・自分と世界との関係を内部観察して、対象化するようなことをしません」。「それが私たちの役目だと思っています。そういう人たちが日々あくせくして、そんなことなんか考えていられないところで、望まれても望まれなくても私たちはものを考える。ただしそれは近代の「啓蒙」ではない。万古不易の人間の考えるという営みです。そしてそれが多くの人の考えになって、少なくともいま問答無用で進んでいる濁流に堰を立てる。この「無思考化」の流れのなかに生きた思考を些かでも埋め込む。それが務めだと思っています」。「政治の場を確保する、生きる人間を生かすのが政治等々、現代に問われているのはそのことなのです」と。
私はこれに賛成で、西谷氏が意外とサルトル的なのに感心した。

一方、藤井達夫氏はこう書き出す。
「この国はいま、どんな状態にあるのだろうか。まず思い浮かぶのは、労働の不安定化による生活の安全の破壊、格差問題という名で偽装された貧困化、ポスト工業化社会に不適合となった社会保障制度の持続不可能性など、「社会問題」が噴出していることだ。この現状をさらに深刻にしているのは、近年、そうした「社会問題」が隠しがたいものとなっているにもかかわらず、政治が長期的な視野に立った抜本的な解決策を実施することはおろか、構想さえできていないことだ」と。そして、権力の私物化を禁じ、専制に対抗する民主主義として古代アテナイの民主主義について、「古代の民主主義と近代の民主主義の・・・最も重要な違いは、古代の民主主義がその理念を実現するためにクジを用いたのに対して、近代の民主主義は選挙でそれを実現しようとしてきた点にある」とする。ほかにも「メリトクラシーに依拠する中国モデル」や、「政策よりも政治リーダーのパーソナリティが重視され・・・選挙がアイドルの人気投票あるいは有権者のアイデンティティイの承認の機会になる」といった選挙の形骸化など「ポスト工業化社会の代表制度がポピュリズム化しやすいこと」等々、最後に「代議制度の改革は、現代の民主主義が直面する真の危機を克服するための、不可避にして喫緊の、そして何より実行可能な課題なのである」とある。私は代議制度の改革の要諦は、「くじ引きと輪番制」であると会得するとともに、前ログの年賀状に書いたように、昨秋に立ち上げたワーカーズ・コレクティブ「アソシエーションだるま舎」をくじ引きと輪番制で運営して、アソシエーションを広めることを今年の目標とするところ、今年もよろしくです。

 

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ブログ再開

  Photo_20220107103001      3年間のブランクがありましたが、ココログを再開したいと思います。まずは、3年前の初日記から。

2019年1月4日 ·
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一昨年に父が、昨年には義父が他界して正月なしがつづき、三が日は本読みと酒飲み。壇一雄『夕日と拳銃』上巻を読了するも活劇調に気が乗らず、下巻は読まずに新刊の小田中直樹『フランス現代史』(岩波新書)を読んだ。日本では憲政史上最悪の安倍政権に対しても批判の声はさして上がらない一方、フランスでは燃料の値上げ反対するイエローベストを着た民衆の決起が、マクロン政権打倒まで言い出した。フランスでは3年前に「立ち上がる夜」という「深夜の自由討論集会」みたいなムーブメントがあったわけだが、それと民衆決起はつながっているのか、興味深深であった。『フランス現代史』はフランス戦後史の概論で、フランス戦後史は「分裂と統合の弁証法」であったとして、その対抗軸は「上(資本家やエリート官僚)」対「下(労働者や農民)」であったものが、戦後の経済成長が滞るようになった1960年代のとりわけ五月革命を契機に、社会がかかえる諸問題を、集合的アイデンティティにもとづいて社会を「内」と「外」に区別することによって解決しようとする「アイデンティティ・ポリティクス」が登場し、1980年代をつうじて、フランス社会の分裂の対抗軸は「上か、下か」から「内か、外か」に移動していったという。フランスには戦後の経済成長期にかつての植民地であった北アフリカからのイスラム系移民が増え、成長期の終わった60年代以降は非移民系でも若者には失業者が増えたわけだが、そこでは非移民や移民を含む有職者が「内」であり、移民や非移民を含む失業者は「外」である。この分裂はフランス特有のものでなく、アメリカや近未来の日本もそうなるであろう。またフランスは、フランスの栄光をめざして欧州統合をすすめる一方、1981年には社会党のミッテランが大統領になり、共産党との連立内閣が誕生して、大企業の国有化と地方分権化と労働者参加をすすめる労働法の改正などがすすんだ。しかし、ミッテラン政権の課題は不況の克服であり、そのためには企業の生産性向上や国際競争力の強化が必要であったわけで、ミッテランの実験は失敗に終わった。(※この辺りの経験は、韓国の文在寅政権にも通じると思われる)。80年代以降、「内か、外か」という対抗軸にもとづくアイデンティティ・ポリティクスに立脚する国民戦線や緑の党が国策政党として登場し、90年代のフランスは、「上か、下か」、「右か、左か」、「内か、外か」、「親欧州か、反欧州か」という四つの対抗軸があるという。そして2007年に新自由主義を擁護するアメリカ好きのサルコジ政権が誕生し、サルコジ政権と国民戦線は、テロを口実に、移民・移民二世、アラブ系、イスラムを目に見える敵に設定してポピュリズムの政治を行い、マリーヌ・ルペン率いる国民戦線は大躍進した。そして2017年の大統領選挙は、社会党右派的なマクロンと国民戦線のルペンとの一騎打ちになって、マクロンが勝利したわけだが、第一次投票における国民戦線らの得票は4割を超えた。マクロンは新自由主義的な路線をとる中道派であるわけだが、中道化に対する不満は、とりわけ民衆層には大きいという。イエローベストを着た民衆の決起の背景は、そういうことなのであろうか。グローバリズムと新自由主義が世界を席巻する時代、それを信奉する政治家のやることや経済政策は、安倍政権も含めてどの国でも大して変わることはない。1%の「上」と99%の「下」の世界で、ポピュリストは「99%の下」の間隙をついて、その分断を図るだろう。フランスの労働組合は、80年代にはその組織率を10%前後まで低下させ、その一方で新しいナショナルセンターをつくる動きが始まり、1998年に「連帯労働組合連合」ができた。一方、80年代以降、貧困層や失業者を援助したり、移民を支援する自発的な運動、失業者やホームレスに食事を提供するボランティアによるレストラン、空家を占拠してホームレスに提供するスクワットが行われているという。昨今、日本でも同様な試みは行われている。春には統一地方選挙が、夏には参議院選挙があるから、なんとかして「下」&「外」をまとめて「内」も巻き込んで、安倍政権を打倒したい。正月のない今年の目標は、これくらいであろうか。年末から1週間飲みつづけ、今日やっと休肝日して、1勝3敗。今年も、よろしくです。

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2019年1月11日 (金)

労働と生産のレシプロシティ

Photo志村光太郎『労働と生産のレシプロシティ』(世界書院2018)を読んだ。「レシプロシティ」とは相互主義とか互恵主義のことで、本の内容は労働者自主生産をしている企業のフィールドワークと、その可能性についてである。フィールドワークの対象となったのは、全統一労働組合が主宰する「自主生産ネットワーク」に参加する12社の中から、オートバイ用品店のビックビート、給食用食材の仕入れ配送の城北食品、化粧品製造と販売のハイム化粧品の3社、みな株式会社だが営利至上主義ではない。3社とも会社の倒産争議を経て、その過程で全統一労働組合の分会がつくられ、全統一の指導で争議解決後は自主生産企業として再建された小企業である。自主生産企業として共通するのは、労働者と経営者が分離しておらず、査定のない平等な給料と合議による運営で、参加者の誰もが自社は自主生産企業であるというアイデンティティイを自覚しており、全統一労働組合、自主生産ネットワークに加盟する他社の労働者、さらには、地域住民などとの間での相互扶助を重視しているといったところであろうか。

日本には現在、こういった労働と生産に関わる社会的企業グループとしては、ワーカーズ・コレクティブ・ネットワーク・ジャパン(WVJ)と日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会(労協)、それに自主生産ネットワークがある。労働者自主管理(自主生産)は、必ずしも労働者協同組合の形態行われているわけではなく、また、自主生産は企業の倒産争議等を経て、労働組合が企業再建をしたものが多いが、労協はこのことを必須の条件とはしていない。そもそも「協同労働の協同組合」であるとする労協には、基本的に労働組合は存在せず、労協傘下の事業所における自主管理活動は、私物化とされるという。WVJと労協は、そのベースが協同組合であるが、自主生産ネットワークは協同組合ではなく、企業形態は株式会社であり労働組合があるわけだが、最も生産協同組合的な実態を持っている。近年、グローバリズムの跋扈と市場経済に抗するものとしての社会的連帯経済が模索され、その中核には協同組合が位置づけられるが、社会的連帯経済は既存の協同組合や共済組合が中心というよりは、広くは労働組合やNPO、NGO、コミュニティも重要な構成主体であり、とりわけ生産協同組合の内実を有する労働者自主生産企業の位置づけは決定的に重要であると私は考えるところ。

資本主義は労働の商品化を成立の要諦とするわけだが、志村光太郎氏によれば、20世紀以降の〈産業民主主義体制〉というのは、要約すれば以下のようになる。「〈産業民主主義体制〉という資本のヘゲモニーのもとで、労働者は自己を、非人間的労働力とその人格的所有者へと分裂させている。労働組合も基本的にシステムであり、労働者労働力化装置であり、労働者における労働力と人格の分裂を前提に、非人格的労働力をどこまで高く売るか団体交渉を行い、そのかぎりにおいて労働者の盾となっている。しかし、〈産業民主主義体制〉は1960年代後半以降、深刻な不況により経済成長が不可欠なフォーディズムのカルノーサイクルが機能しなくなり、現在は、それに代わりうる支配的なヘゲモニーが成立していない混迷期にある。一方、それに対して、労働者自主生産は、労働者が自己を労働力と人格に分裂させずに、労働することを可能ならしめた。これは、現代の支配的ヘゲモニーである〈産業民主主義体制〉とは異なる対抗的ヘゲモニーと位置づけることができるだろうし、規模は小さくとも、労働者自主生産を行っている労働者が、対抗的ヘゲモニーを形成しえている。その存在意義はけっして小さくないであろう」と。

日本の社会的連帯経済の議論の中で、労働運動は等閑視されがちであるのは、生協が拡大した一方、労働組合が衰退しているからでもあるわけだが、労働運動の役割と必要性がなくなったわけではない。上記にあるように、例え小さな試みであろうと、労働者自主生産は資本主義に対抗するヘゲモニーになりうるし、それとの連携なくしては、社会的連帯経済は資本主義への対抗的ヘゲモニーにはなりえないと、私は考えるわけである。志村光太郎氏は、フォーディズムともうひとつコーポラティズムが資本主義の根幹をなしているとする。コーポラティズムとは、システムが本来、公共空間に回送すべき問題を、自ら他のシステムとの妥協・調整によって処理してしまうことであり、団体交渉は本来ボランタリズム的公共空間であったが、コーポラティズム的デバイスになった時、形骸化した。対抗的ヘゲモニーは「熱い討議と熟慮ある選択」をとおして、自薦的に公共空間を獲得することによって拡大するわけだが、昨今の安倍政権は嘘と居直りで、自由な言論と言う公共空間を圧殺するが、日本ではそれに抗議することさえ少ない。日本における社会的連帯経済というものは、生協が拡大したとしてもそれによって成立するものではないだろう。老婆心を言えば、対抗的ヘゲモニーを持ち得ない限り、私はそれがコーポラティズムに収斂しかねないと危惧している。そして、労働者自主生産は自主生産を機能させうる公共空間をシステムに内包しているが故に、勢力は小さくても自由な行為主体として継続することが、社会的領域、公共空間への扉を開くことにつながるが故に、日本における社会的連帯経済には欠かせないとと思うわけである。

そして、志村光太郎氏は以下のように本書をまとめる。
「それぞれの労働者自主生産事業体、労働組合、NPO、NGO、コミュニティ、一般の企業さえもが、それぞれ基本的にシステムでありながら、広範囲に公共空間を内包することで、近代の村、同職集団のように、市民社会を形成している。それが、現代市民社会に代わりうる、新しい市民社会のイメージである。それぞれの成員が、一定の職業、地域、関心、価値観、あるいは目的などのもと、相互に認知できる固有のシンボルを分有し、情報交換、問題解決といった相互扶助を行う市民社会である。そこは、労働において労働力と人格を分裂させない、第三の道が聞かれている社会である。労働がすべてでない社会である。誰もが、フィクションに基づくのでなく、リアルに市民となりえる社会である」。「労働と生産の公共性を突きつめていけば、かならず労働者の互酬に行き着くはずだ」と。

昨年来、私は労働運動本を企画編集中なのであるけど、なぜ身銭を切ってでもそれを作りたいかといえば、70年代以降に私が体験した労働組合による自主生産の試みとその現在を、日本の社会的連帯経済づくりにつなげたいと思うからであり、そこに労働運動本には自主生産ネットワークの話を載せたかったわけだが、その中心人物の鳥井一平さんは外国人労働者問題の第一人者でもあって、その原稿を書いてもらうことになり、忙しい鳥井さんに二つの原稿は無理そうだから、自主生産ネットワークの話はさてどうしたものか、少しはそれを体験しているから志村光太郎『労働と生産のレシプロシティ』を読んで、コラム程度のものを自分で書くかと思ったわけだが、志村光太郎氏の緻密な論考に感心した私は、志村光太郎氏に原稿をお願いしてみようと鳥井さんに相談して志村光太郎氏に連絡すると、実に心よく引き受けていただけたのであった。本は『労働運送の昨日 今日 明日』の書名で、社会評論社から5月頃に出版の予定、よろしくです。

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2018年10月24日 (水)

「労働力なる商品の特殊性について」

10月21日に、専修大学で「マルクス生誕200年シンポジウム」があって、参加した。午前中は、大内秀明氏による基調講演「晩期マルクスとコミュニタリアリズム」で、聴衆は100名を超えていた。自らも晩期であると語りながら大内秀明氏は、これまでの『ドイツ・イデオロギー』『経哲草稿』を書いた初期マルクス、『経済学批判』を書いた中期マルクス、『資本論』を書いた後期マルクスの3区分に対して、1870年以降のパリコミューンに対するスタンス、ベラ・ザスリッチあての手紙などを通して、唯物史観の見直しに到った晩年のマルクスを「晩期マルクス」とする。フランス語版『資本論』を読んだモリスとバックスは『社会主義―その成長と帰結』を共著して、そこに「中世期における労働は・・・連合・アソシエーションの原理によって、明確に支配されていた」と注記したわけだが、大内秀明氏は、そこから唯物史観の前提となる「所有者の労働に基づいた私的所有」の見直しという晩期マルクスの「所有法則の転変」に注目して、「晩期マルクスとコミュニタリアリズム」=「共同体社会主義の可能性」を導き出すわけである。

上記を語った後、大内秀明氏は、『農民芸術概論要綱』を書いてモリスにシンパシーし、農学校を辞めて「羅須地人協会」を立ち上げた宮澤賢治が「羅須地人協会」でやろうとしたこと、1924年に書いた「産業組合青年会」の詩を遺書の如くに遺したことなどにふれて、宮澤賢治と産業組合について熱く語るわけだが、ここまでで2時間の講演時間が過ぎてしまい、上記の「Ⅰ)マルクスからモリスへ」、「Ⅱ)モリスから賢治へ」につづく「Ⅲ)ポスト『資本論」とCommunitarianism 共同体社会主義」は語られずじまいになってしまった。今回私がいちばん聞きたかったのがそこであったので、以下にレジメからその部分を記しておきたい。要は「社会的連帯経済」といいながらも、そこで語られる経済的な在り様は「経済学」というよりは、クロポトキン的な相互扶助論、「協同社会」とか「協働労働」とか謂わば初期社会主義的なレベル、もしくは「私的所有から共同所有へ」といったマルクス主義の所有論的把握によることが多いわけだが、それに対して大内秀明氏の所説は、資本主義の矛盾を「労働力の商品化」にみる宇野経済学に拠って、「労働力商品化の止揚」から「共同体の形成」を見すえるわけである。

Ⅲ)ポスト『資本論』とCommunitarianism共同体社会主義
初期マルクス・イデオロギー的作業仮設「唯物史観」、そして「所有法則の転変」の超克『資本論』純粋資本主義の抽象「自律的運動法則」の定立 第1巻7篇23章と22,24章
*経済法則の純化 「経済法則」と「経済原則」の明確化、「経済法則=資本主義の自立的運動法則、「経済原則」=超歴史・歴史貫通的・類的存在としての「世界人類共同体」→変革の「対象]と「主体」の明確化
*変革の主体設定 労働力商品化の止揚、①負の効用の労働→人間の喜びの表現としての労働、②可変資本の回転と労働力の再生産→家庭・家族の意義(宇野「労働力なる商品の特殊性について」『唯物史観』1948参照)、③生産と消費の「経済循環」→資本循環と単純流通、「地産地消」と地域共同体(コミュニティ)
*変革の組織と運動 コミュニティの構成、①地域労組、各種協同組合(賢治「産業組合」)、NPO、ソーシャルビジネス、ベンチャーキャピタル等、②ICTネット、スマートコミュニティ、ソーシャルデザイン③地域共同体連合、連邦共和国、「世界人類共同体」(モリス・連邦制)

とりわけ私は、共同体のベースになるだろう「可変資本の回転と労働力の再生産→家庭・家族の意義」など聴きたかったわけだが、それは宇野弘蔵が1948年に書いた「労働力なる商品の特殊性について」に書かれているというので、『宇野弘蔵著作集』を持っている友人の矢作さんに頼んで、「労働力なる商品の特殊性について」のコピーをしていただいた。「労働力なる商品の特殊性について」は、私にはたいへん難しい文章で、以下が「労働力なる商品の特殊性について」の要諦と思うところでノートしておく。ここからどう共同体社会主義に向かうものか、それについては大内秀明氏のつづきの講演を聴くしかない。

「可変資本が労働者によって賃銀を通して消費せられるというのは、前にも述べたように労働力としての可変資本が、資本自身を生産しつつあるからに外ならない。労働者は賃銀を通して資本としての生活資料を消費するものとしなければならないが、いずれにしてもそれは労働力の使用価値としての労働が生活資料を資本として新しく生産しつつあることを示すものに外ならない。勿論、不変資本部分は、価値としては生産もされず、再生産もされないで単にその価値を移転せられ、保存せられるに過ぎないが、しかしこのことは剰余価値の資本化によって新しく資本が労働によって形成せられることを否定するものではない。剰余労働が単に資本家の生活資料にとどまらず、労働者の生活資料と共に生産手段をも生産し、資本の生産過程を拡大し得ることはいうまでもない。労働力の商品形態は、この関係を隠蔽する。」(『宇野弘蔵著作集』第3巻「価値論」p495)

「資本は、本来商品として生産せられたものでない労働力を商品とすることによって、個人的消費過程をも労動力の生産過程とする。そしてこれに対して商品として生産するに必要な労働時問によってその価値を決定するのであるが、それは他の商品と異って労働力自身の使用価値たる労働によって生産せられたる生活資料の生産に要する労働時間による外はない。かくてW-G-W’ のW’において、資本として一定量の価値を有する生活資料が労働者によって消費せられるということは、労働力なる商品が、資本の生産過程において資本としての一定量の価値を有する生活資料を生産するからであるが、それはまた労働力が直接的に労働の生産物として価値を有するものでないことを示すものである。いい換えれば労働力の価値なるものは、資本家に対する労働者の関係を表現するものに外ならない。それは労働者が自ら生産したる生活資料を、資本の生産物たる商品として買戻す関係をあらわすものである。労働力なる商品のW-Gの過程において資本家は前述の如く一面では資本として所有する価値を引渡しながら、他面では資本を労働力として得るわけであるが、それは全くかくの如き資本家と労働者との関係が商品形態を通して行われることを意味するものに外ならない。労働力の価値が資本の価値としてあるわけではない。しかしまた資本家はその資本として所有する価値を引渡しだからといって資本そのものを労働者の于に引渡すわけではない。事実、労働者の手にあっては、賃銀として得た貨幣は、単に貨幣として使用せられるのであって、資本として機能するものではない。資本は常に資本家の于にあるのである。」(前掲書p498-9)

「われわれは、商品の価値を単なる交換価値としてでなく、商品の生産を通して行われる価値の生産において把握しなければならないが、それは資本の生産過程において始めて確保される。W-G-W’の形式の想定する商品生産は、いねばこの形式の外郎にあるに過ぎない。私は寧ろ率直にいって、W-G-W’の形式による考察は、労働力の商品としての流通を理解し得る範囲に限定せられるものと考えている。勿論、上地や骨董品のような再生産せられないものまでが合まれるとは考えないが、しかし労働力のように、元来は商品として生産せられないものが、商品として売買せられる関係をも合むものでなければならない。そしてかくの如きものが合まれなければならないという点にこの形式の抽象性がある。この形式自身では解決されないものがある。いい換えれば、労働力自身を商品化する社会的関係を確立しない限り、商品経済は、一般的な社会形態とはなり得ないことを示すものといえる。実際またかかる関係が確立されたとき、われわれは始めて商品の価値関係を、単なる物と物との関係としてでなく、物と物との関係の背後に人と人との関係を明確にし得るものといえるのではないかと思うのである。商品の物神性もここにおいて始めて、本質的に理解することが出来るであろう。労働力の商品化は、物としてあらわれる人間関係の極点をなすものである。それは人間労働の対象化したるものとしての商品における人間関係たるに留まらず、人間の労働力そのものが商品化され、人間の物化としてあらわれる。而もそれは、元来人間の生活がいかなる社会においても労働の対象化を通して物貧的に再生産せられざるを得ないという、根本的原則の一歴史的形態なることを明らかにするものといえるのである。」(前掲書p502-3)

「マルクス生誕200年シンポジウム」は、午前中の大内秀明氏による基調講演の後、昼食をはさんで、午後からは5つの分科会に分れ、私は「世界を変革する社会的連帯経済をめぐって」の担当で、資料を25人分用意したのであったが、30名を超える参加者があり、その多くはこれまで見知った協同組合や社会的連帯経済の関係者ではない方々であったけど、けっこう活発な議論があった。私の報告は、9月28日のブログ「2018GSEFビルバオ大会の事前報告」と10月14日 のブログ「社会的連帯経済とモンドラゴン協同組合」に書いたとおりのことに、7月4日のブログ「34年前に提起された『社会連帯部門』」を補足した。私のブルグはアクセス解析ができるのだが、最近はこの三つがよく読まれているので、この辺りはは次のブログに書きたいと思う。

シンポジウム終了後は懇親会、朝8時半に家を出て、夜9時半に帰宅。これでGSEFビルバオ大会への参加とその報告は一段落した。次は、11月3日に仙台で行われる大内秀明編著『自然エネルギーのソーシヤルデザイン~スマートコミュニティの水系モデル~』(鹿島出版会刊)の出版記念会、「水系のシンフォニー~震災復興後の地域社会モデル~」に参加の予定。これは社会的連帯経済のいわば実践論の提起で、時間があれば大内秀明氏から「労働力なる商品の特殊性についてなど伺って来たいと思っている。

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2018年10月14日 (日)

社会的連帯経済とモンドラゴン協同組合

Dscf1793※私はビルバオ大会に行く前の9月28日のこのブログに、「2018GSEFビルバオ大会事前報告書」を書いた。今回はそののつづきで、題して「社会的連帯経済とモンドラゴン協同組合」、よろしくです。

「事前報告書」の「ビルバオ大会&モンドラゴン訪問への私の関心」に即して書けば、④⑤については以下の通りです。
2010年に発覚したギリシャのデフォルト危機は欧州ソブリン危機と呼ばれた欧州経済危機に発展し、2012年にはスペイン経済危機、2014年にはポルトガルのデフォルト騒動へと広がりました。だからスペインは困窮しているのだろうと予断してバスクに行っみると、バスクの中心都市ビルバオ市は豊かであり、その郊外にあるゲルニカ市、さらに山中にあるモンドラゴン市まで、どこも豊かで美しい街でありました。スペインの中でもバスクは自治州であり、工業が盛んで平均収入も高く、GSEF大会でビルバオ市長は「バスクには1700の協同組合や社会的企業があり、多くの雇用を生み出している。・・スペイン政府も社会的経済を支持している」と語り、さらにスペイン政府の労働大臣は「ビルバオは革新的なエリアであり、このフォーラムは異なる社会をつくることに役立つであろう」と語っていました。

今回の大会には、世界84カ国から1700名あまりの人々が集まりましたが、社会的連帯経済は新しい概念であり、それぞれの取り組みにはお温度差もあります。社会的連帯経済の先端を行くモンドラゴンの代表は「協同組合が集まってコミュニティをつくることが社会変革につながる。社会的連帯経済は従来の利益追求の経済ではなく、連帯と民主化によって人間を豊かに向上させるある意味ユートピアである」と言い、フランスの代表者は「企業の定義を変えて、よりよい会社をつくっていかねば・・マクロン大統領によっても社会的経済は大切にされている。しかし、社会的経済はDGPの10%を担っているけど、人々には知られていません」と語りました。今回フランスでは「社会的連帯経済法」ができた一方、マクロンの政策は新自由主義的とも言われ、フランスからは13の自治体からの参加があったわけですが、自治体レベルではフランスに古くからある共済組合といった広い意味での社会的経済というよりは、他のEUや南米の国々の小さな自治体と同様に、雇用や福祉のための「社会的イノベーション」としての社会的連帯経済の取り組みが報告されいていました。参加国をみれば、EUやILOからの参加はありましたが、いわゆるG7の国においてはアメリカのNY市から毎回副市長の参加があるほかは、経済政策レベルでの取り組みの報告はなく、新自由主義をすすめる政権は社会的連帯経済に関心を持たず、GSEFをになっているのは新自由主義に批判的な自治体が中心で、EUや韓国や台湾や南米やアフリカからの参加がめだちました。GSEFを牽引する韓国のソウル市の朴元淳市長は、「アジアの国には社会的連帯経済の経験がない。ソウル市ではプラットフォームを立ち上げて社会的連帯経済を広げて行きたい」と語っていました。

スペインやポルトガルやフランスでは、すでに「社会的連帯経済法」が成立しており、政治経済危機がつづくイタリアでは、社会的連帯経済法というよりは社会的協同組合法がつくられ、最近では小さな自治体ではコミュニティ協同組合が試行されているそうです。デフォルトの危機が言われながらも、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリアといった国々がデフォルトしないのは、やはり社会的連帯経済の領域がこれまでの市場経済に代わって雇用や経済を担いだしているのかもしれないと思うところで、ヨーロッパがEECに始まって、半世紀以上の時間をかけて統一通貨ユーロをつくり、欧州連合を成立させましたが、そこでは社会民主主義政権はふつうであり、今後の社会的連帯経済の普及も同様にすすめられるのではと思ったところでした。

次に①②③についてですが、これは私的には「モンドラゴン協同組合の可能性」ということで、今回のビルバオ大会の中心テーマは「価値」と「競争力」と「包摂的で持続可能な地域創生」の三つでした。物議も醸す「競争力」という表現が出てきた背景には、二つのことがあるように思えます。ひとつは、2007年のモンドラゴン協同組合の基幹組合であったファゴールの家電部門が倒産したことです。そしてもうひとつは、国連の持続可能な開発目標「アジェンダ2030」への対応です。社会的連帯経済というのは新しい概念ですから、GSEF大会への参加者や発表内容を見ても様々であり、上記しましたように、EUや国家レベルから見ればそれは政策であり、自治体レベルからみればそれは地域の雇用や福祉の解決策であったり、またその実行主体も、自治体であったり協同組合であったり民間の社会的企業であったりしています。しかし、その中で社会的連帯経済のいちばん具体的な例はどこかと問えば、それはやはりモンドラゴン協同組合であり、そのモンドラゴン協同組合から提起されたものが「競争力」であり、各自治体が必要とするものは「包摂的で持続可能な地域創生」であり、その全体をまとめるのが社会的連帯経済の「価値」なのであろうと思ったところです。

社会的連帯経済は発想されてまだ日も浅いのに、モンドラゴン協同組合は65年前からそれを立ち上げて、フランコ政権下のバスクの山中に人知れず「協同組合地域社会」を築き上げました。そしてヨーロッパの国々が産業社会も協同組合もいきづまった1970年代末にそこは世に知られるようになり、やがて多国籍企業、グローバリズムに対抗する労働者協同組合群が注目されて、前述したようにレイドロウは『西暦2000年における協同組合』でそれを高く評価し、イギリスにおける「ル-カス・プラン」や「社会的有用生産」に影響を与え、やがて日本や韓国からもそこを訪れる人が増えていき、今回その本部を訪問すると、日本語による説明ビデオが用意されていました。グローバリズムへの対応による海外進出でファゴールの家電部門が倒産した後、そこの組合員は他の組合に再配置されて、現在の規模は全部で98の協同組合企業があり、80800人の組合員が働いており、ファゴールはバスクはもとよりスペインを代表する企業のひとつであり、消費生協であるエロスキはスペインに2000店舗を展開しています。要は、モンドラゴン協同組合はどの国の協同組合よりも労働者協同組合を軸とした地域綜合型で突出しており、その生産は工業製品からIT関連にまで及べば、それはすでにモンドラゴンの山中で定常化することは出来ず、連帯を求めながら果敢に挑戦をするといったイメージで、モンドラゴン市長は「成長力がなければ、富を分かち合うことは出来ない」と発言していました。

もうひとつ、国連は2015年に「アジェンダ2030」をつくって、協同組合のみならず世界中の企業がその達成をめざすことになり、日本でも安倍政権が音頭を取り、経団連から青年会議所までがSDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)を推進しています。パルシステムは今回のGSEFバルビオ大会には未参加でしたが、2017年にSDGsのアワードを受賞しました。SDGsには日本の一流企業の多くも参加するわけですが、もしどの一般企業も国連の基準にそった生産やサービスを行うなら、生協の商品は一般企業のそれとの差別化は難しくなり、協同組合は一流の企業たるべく大企業と競争するしかないことになります。そしてその時に何を持って協同組合は社会に対して優位性を示せるのかといえば、それはこれまでの消費組合としての「出資・利用・運営」よりは、労働者協同組合としての「Member=Worker=Owner」となるでしょう。要は、SDGsは国連によるいい取り組みだけど、私的には「どんな原材料を使っているか」だけでなくて、それを生産するために「人にどんな働き方をさせているか」の開示が必要ではと思うところです。要は、一般企業と労働者協同組合との最大の差別化は、協同組合が「Member=Worker=Owner」であることであり、社会的連帯経済を担える協同組合や社会的企業はそういう企業であるし、そのベースには労働組合と協同組合が一体化することが必要であると私は思います。本部やファゴールの工場を訪問した時の質問は、ファゴール家電部門の倒産に関することになりがちでしたが、モンドラゴンの担当者が困っていたのは説明しにくいことがあると言うよりも、モンドラゴンの要諦が「Member=Worker=Owner」にあることが理解されないことによる当惑だと私には感じられました。

果たしてモンドラゴンの協同組合は、ヨーロッパや日本や世界各国で一般化出来るのでしょうか。今回日本からは約50名の参加があり、モンドラゴンからの帰り道に訪問した小さな労働者協同組合で、誰かが「日本人が50人も来てどう思うか」と質問したら、「韓国人は500人来ます」と言われました。社会的連帯経済に力を入れる韓国は、一般協同組合法をつくって5人集まれば協同組合がつくれるようになったわけですが、モンドラゴンは1日にして成らずですから、日本もそこから始める必要があります。「ソウル宣言の会」による今回のGSEFビルバオ大会ツアーには、大会終了後の4日目にはにゲルニカ訪問、5日目にはモンドラゴン訪問というサプライズがありました。ゲルニカは1937年にファシスト軍による世界最初の無差別爆撃が行われ、それをピカソが作品にしたことで有名ですが、最初に案内されたのはゲルニカ市にある「バスク議事堂」でした。そこは、スペインから自治を許されたバスクがそこで国王から自治を認証された場所で、現在でもビスカヤ県の議事堂として使われています。私は議会はイギリスの名誉革命に始まったと思っていましたから、カトリックの封建国家であるスペインに、中世から議事堂があったというのは驚きでありました。最初は木の下で行われていた住民の集会が、やがてアッセンブリーハウスとして作られたわけですが、それはカトリック教会を兼ねていました。最初にモンドラゴンに銀行と協同組合をつくったのも、カトリックの神父のホセ・マリア・アリスメンディアリエタであったわけですが、モンドラゴン協同組合の背景にはバスクの自治とカトリックがあると思ったところです。

ゲルニカからの帰りにツアーをコディネイトしたコンサルタントのジョン・アンデルさんにビルバオ市内にあるバスクの主流政党であるバスク民族党の本部に案内されました。バスクに住むバスク人はおよそ300万人だそうですが、説明をしてくれた党の担当者もジョンさんも、みなバスク人であることに誇りをもっているのが印象的でした。そして民族主義の政党でありながら、バスク民族党はとてもオープンに私たちに連帯を表明し、「バスクを愛する人は誰でもバスク人になれます」とおっしゃっていました。なぜジョンさんは私たちをバスク民族党に案内したのか。ジョンさんの父はモンドラゴンで働き、ジョンさんはモンゴラゴン大学で起業を学んで社会的企業としてのコンサルト会社を立ち上げて、日本とバスクをつなぐ旅行企画を日本に案内しながら、モンドラゴン視察ツアーや広島とゲルニカを結ぶ活動などをしています。今回は、GSEF大会への参加だけでなく、バスクとモンドラゴンを案内されたことが収穫でしたが、ジョンさんがそれを企図したのは、社会的連帯経済は自らの地域をベースにして「社会的イノベーション」を起こして、自ら創るしかなく、それをとおしてお互いの連帯もすすみますということでしょうか。社会的連帯経済は新自由主義に対して新しい地域社会を創るための対案であり、私たちも労働者協同組合や社会的企業を立ち上げることから始めたいものです。(2018.10.21平山昇)

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2018年9月28日 (金)

2018GSEFビルバオ大会の事前報告

明後日からスペインのビルバオで開かれる「2018GSEFビルバオ大会」行き、その報告会を10月21日にやるのだけど、松田社長から「報告会の資料を作るから、報告書をビルバオに行く前に書いてくれ」と言われたので以下を書いた。実際に見てきたことの報告は、10月21日に専修大学に行います。よろしくです。

2018GSEFビルバオ大会の事前報告:

10月1~3日にスペインのビルバオ市で開かれました「2018GSEFビルバオ大会」に行ってきました。GSEFは、Global Social Economy Forumの略で、グローバリズムの跋扈に対して社会的連帯経済をめざす世界各地の地域社会の連帯フォーラムで、韓国のソウル市長パク・ウォンスン氏の提起で2013年にソウルで社会的連帯経済をめざす「ソウル宣言」を発表し、2014年にソウル市で第1回大会、2016年にモントリオール市で第2回大会、そして今年はビルバオ市で第3回大会が開かれたところです。とりわけビルバオ市のモンドラゴンは、社会的連帯経済、協同組合関係者には「協同組合地域社会」のモデルあるいは聖地みたいな場所として知られるところで、今回は日本からも大勢の参加者がありました。

社会的連帯経済は、ヨーロッパでは社会的経済(Social Economy)として以前からあり、フランスでは1901年にアソシエーション法が制定され、2015年にはそれが社会的・連帯経済法になって、社会的連帯経済という用語は普通に使われており、その中身は共済組合や協同組合や保険会社やアソシエーションということですが、それが広く注目されるようになったのはソ連型社会主義が崩壊して、市場万能主義のグローバリゼーションが国家の垣根を越えて地域経済を破壊し格差を拡大することに対して、それまでの社会主義に代わる運動として起こってきました。協同組合の世界では、1980年のICA(国際協同組合同盟)モスクワ大会において、カナダのレイドロウ博士が『西暦2000年における協同組合』という「レイドロウ報告」と称される報告を発表して、そこに多国籍企業などからの危機に対して、「①世界の飢えを満たす協同組合、②生産的労働のための協同組合、③社会の保護者をめざす協同組合、④協同組合地域社会の建設」の四つの優先課題を提起し、②④のモデルとしてモンドラゴン協同組合が紹介され、知られるようになりました。しかし、当時の協同組合関係者の多くは、「かつての亡霊の復活」などとして、生産協同組合には否定的な対応が多数でした。

しかし、日本にも労働者協同組合運動に近いものとして、中西五州氏の労働者事業団や、1980年代のアメリカでのワーカーズコレクティブ運動に触発されての生活クラブ生協でのワーカーズコレクティブづくり、それに労働運動の分野では1970年代より企業の倒産争議における自主生産闘争が活発になり、1983年には7年間の自主生産闘争に勝利したパラマウント製靴が生産協同組合としてのパラマウント製靴共働社として成立し、1982年に起きた東芝アンペックスの争議も自主生産闘争を勝ち抜いて1990年には生産協同組合としてのTAU技研として成立、その他の小規模な争議自主生産闘争の結果による自主生産企業は現在が集まって「自主生産ネットワーク」をつくっています。関西でも1970年代から全金同盟関係の争議で自主生産闘争が行われ、関西生コンは協同組合と労働組合を一体化させた事業と運動を展開しました。また中曽根臨調の下に1987年から国労つぶしが開始され、解雇されて国鉄闘争団に結集した1047名の人々は各地に立ち上げた自主生産企業に拠って24年間にわたる闘争を継続し、2010年に200億円の解決金を得る勝利的解決をしました。

私は1970年代の半ばから生協で働き出して、生協の仕事をしながら下町エリアで社会運動に関わったわけですが、中小企業の多い下町の労働運動はパート労働者も多くて地域に密着しており、1984年には江戸川ユニオンという企業を超えたコミュニティユニオンが成立し、同じ頃に誕生した自主生産企業とコミュニティユニオンの組み合わせの中に、私はレイドロウの提起した協同組合地域社会の可能性を実感したものでした。また、1984年に発表された「日本社会党中期経済政策(案)」、後に「日本社会党の新宣言(ニュー社会党宣言)」と呼ばれた宣言が提起され、大内秀明氏が座長を勤め、その部分は新田俊三氏が書いたという「社会連帯部門」の内容は(※別紙参照)、いま言われる社会的連帯経済とさほど変わらない内容でありました。しかし、西欧型の社会民主主義政党をめざしたこの「新宣言」は、発表されるや共産党や新左翼から「社会党の右転落」という批判をあびて、1990年代に社会党は名称だけは社会民主党と変えたものの「新宣言」がめざした社会民主主義路線は実行されることなく、実質解体しました。やれたのはソ連崩壊の前に「階級闘争」&「プロレタリア独裁」を清算できたことくらいでしたが、ソ連・東欧の社会主義の崩壊後は、それに代わるものとして社会民主主義への回帰や協同社会や社会的連帯経済といったものの模索が行われだし、左派を称した人たちも「社会民主主義」や「非営利協同」や「協同社会」を語るようになったように私には思えます。

そんなで、今回のビルバオ大会&モンドラゴン訪問への私の関心は、①ヨーロッパにおける新しい社会運動はどうなっているのか、②モンドラゴンの協同組合社会のヨーロッパ社会への波及はどうか、③モンドラゴンの企業と労働組合の関係はどうかなどですが、もっと広くは、EU各国では新自由主義と反移民のポピュリズムが跋扈しており、フランスでのマクロン政権などは安倍政権と変わらない強健政治を行っているときくわけですが、④それに対する対抗運動とか、社会的連帯経済の動向だとか、⑤一時はギリシアの次はスペインか、イタリアか、ポルトガルかと言われた南欧諸国のその後の状況と協同組合のことなどです。1週間の短い旅でその全部などとても無理でしょうが、空気だけでも感じて来ようと思っています。(※本文は大会参加前に書いたために、実際に見てきたことの報告は、当日口頭で行います。)

上記の④とか⑤が気になるのは、かつて隆盛したヨーロッパ各国の協同組合は、1970年代には大型化した消費生協が倒産したり、株式会社化したりして衰退してしまったわけですが、欧米より少し遅れて隆盛した日本の協同組合も産業社会の衰退とともに衰退に向かうことが予想されます。そして、協同組合は社会的連帯経済をになう主力と位置づけられるわけですが、現状のままでそうなれるものかどうか。衰退しつつある労働組合について、協同組合関係者はあまり関心を持ちませんが、これまで政府がやってきたことは国労から関西生コンまで強い労働組合をつぶして、ゼンセン同盟みたいな御用組合にすることです。要は、産業民主主義の根幹が壊されているわけで、日本の産業民主主義が形骸化された後で、例えば政府が「これからは社会的連帯経済ですね、各協同組合のトップの方々に集まっていただいて諮問委員会をつくります」とかなっても、そんなものはムッソリーニ流のコーポラティズムにはなっても、社会的連帯経済にはならないでしょう。

資本主義の勃興期に、ロバート・オウエンは市場経済から弱者を守るためにコミュニティづくりを試みました。そこは労働運動と協同運動が一体となった世界であり、今また必要なのはこれまでの消費型生協や企業内組合ではなくて、オウエンが構想したような「コミュニティ型協同組合」と「コミュニティ型労働組合」であり、それが一体化して支える社会的連帯経済によるコミュニティだと私は思います。そして時代がここまで来れば、社会的連帯経済は研究対象ではなくて実践対象であり、それは遠い将来にあるものというよりは、マルクスにならえば、社会的連帯経済をつくる運動の実践の中にあるものであります。以上、よろしくです。

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